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2010年1月

2010年1月31日 (日)

国民を無視した検察・民主・自民の権力闘争ではないか?

会社の倫理規定を厳格に適用すると全ての職員を懲戒処分にできる。
つまり、倫理規定が曖昧なため厳格に適用すれば難癖をつけて解雇相当の処分も可能た。
叩けば埃がでない人材なんかめったにいない。
上司が服務規律を厳格に適応すれば何らかの処分があるであろう。
一般にそうならないのは、処分する立場の上司も過去に類似な事を行なっているのが現実である。
今回の騒動を見みていると、過去の物差しと違った指標を周知期間も置かずに適応しているのではないか?
国民を無視して、検察・民主党・自民党が政争の具としているのではないか?
個人的には、石川衆議院議員が非常に気の毒に思える。

「物差しの目盛りを自分で決める」ことが可能なのは神のみである。いずれ天罰が下るであろう。

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明日から水上温泉へ

7年前に事業売却の件で金沢の子会社に事前説明の必要があった。
当日、私の乗った飛行機は小松空港に向かったが豪雪のため羽田に引き返した。
翌日の会議に間に合わせるため、特急列車「北陸A寝台」に深夜0時ごろ上野で乗ったのを覚えている。
上越線の途中に水上があった。
当日は雪でひっそりとした水上駅を時間調整のため停車した。
窓からは、雪が深々と降っていた。
パソコンのハ-ドディスクから流れるナツメロを聞きながら泊まってみたいなと思った。
あれから7年、時間も取れるようになり明日が出発だ。
今週は旅行のためブログは中止だ。

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2010年1月30日 (土)

処女マリアは誤訳からか?権力者に思う。

プロテスタントではマリア信仰という考え方は全くないが処女からイエスが生まれたと新約聖書で説いている。
一方、カトリック教会はマリア信仰が非常に強い。
ところで、もともとイエスはユダヤ人だし本人も死ぬまでユダヤ教の改革を説いていたと思われる。
キリスト教の旧約聖書は基本的にユダヤ教の経典である。
イザヤ書7章の「おとめが身ごもって、男の子を産み、」を娘と訳すのをキリスト教では処女との誤訳からマリア信仰が始まったと言う説を読んだ事がある。
新約聖書自体は旧約聖書を見て後世の人が書いた書物であるからユダヤ教ではマリアはただの若い娘である。
ユダヤ教の経典(旧約聖書)はもともとペルシャによってバビロニアから開放された後に自治のために作成された律法である。
だからユダヤ教徒とキリスト教徒の争いなど基本的な知識の欠如からではないかと思う。
たいたい、バビロニアでの奴隷生活の中で開放者が現れる。それが救い主(キリスト)だと言うのがユダヤ教である。
キリスト教とはユダヤ教改革派のイエスが救い主だという主張だからそれほど違わない宗教である。
根底にあるものは、奴隷と言う身分からの開放と「弱者への共感」である。
石切り場職人(イエスの職業)や姦淫の子などはユダヤ人の間では差別される階層である。
また、病気は神の罰とういう考えから病人に触れることも汚らわしいとされた。
イエスの弟子など、(漁師や徴税人など)皆んなこの類の人である。
日本でも肉屋やカバン屋は差別される職業であったと同様に、当時のユダヤでは漁師は生きた魚の血抜きをするので穢れた職業だったらしい。
新約聖書に書かれているイエスは本来のユダヤ教の教えである「弱者への共感」を基本として布教をおこなった。
どうも、ヒットラーなども不勉強だったとしか思えない。おまけに、イエスが有色人だったことも知らない人が多い。
キリスト者としての嗜みで少し勉強すると、どんどん現在のキリスト教会の批判になってしまう。

ところで、付け焼刃の知識でキリスト教は独善だと説くO幹事長はまず自己を省みるべきだ。
友愛を説くH首相は、脱税額ではなく「お母さんから貰ったお金」を全て寄付すべきである。
信仰などなくともキリストに近い人(価値観)はキリスト教徒以上に沢山いるのではないか。
小鳩と「ぎんちゃん」は、いづれも神から遠い存在なのは事実である。

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2010年1月29日 (金)

日本のキリスト教信者の堕落

教会に行くと年寄りが多い。死期が近づくと教会に行きたくなるのか?
というより、定年退職後に行く場所がないから教会でサークル活動をする。
更に、何か役を拝命してもらい神の近くに自分の場所を得る。また、信仰とうより煩悩を満たすための教会活動をする。本人も、周りの人も「キリスト教の本質である弱者に対する共感を持ち合わせず」、自己誇示の場所と勘違いしている。殉教者やコルベ神父ほどの美学を求めるのは無理としても、謙虚さは必要であろう。教会を自己の活躍の場所と履き違えてる輩は問題である。現実社会の厳しい競争に敗れ、逃避場所として教会を選び自分を神の右座に位置づける連中だ。
会社の役員や政治家でも引退せずに自己の存在感のためにしがみ付く輩と同じである。
この点は仏教者の方がマシなような気がする。坊主も信者も堕落している事を自覚している分だけ誇ることがない。日本のキリスト教は清教徒がもたらしたイメージが強いため皆で貧乏ごっこをする。金持ちになるには激しい競争が必要だが、既得権の中での貧乏ごっこは容易である。しかし、キリストとは無縁の恵まれた輩である。「友愛を説く脱税王の首相」や「正義の人と証する自民党議員」よりホームレスの方が遥かにキリストの右座に位置づけられる。キリストの目線とはそういうものではないか。鈴木宗雄さんも拘置所に長く入ってから一皮向けた政治家になったような気がする。どん底から這い上がると本質が見えてくるのかもしれない。石見銀蔵のようなバーチャルの世界でPCに愚痴を書いている輩も問題である。

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2010年1月28日 (木)

キリストと日本のキリスト教信者の乖離

キリストは弱者(抑圧された人々)に共感し癒しをなされた。
聖書を読む限りこれがベースであると思う。
すなわちキリスト自身がユダヤ教で罪悪と見なされた姦淫の子としてお生まれになった。
日本のキリスト教信者とは何か?
全く弱者に共感せず上から目線で弱者に布施をほどこしたり、清貧な態度の競争でキリストの右座に着いている輩が多い。
また、キリスト教信者にいたっては教義も勉強もせず「鰯の頭も信心から」という程度である。
カトリックの修道会系神父は別として、プロテスタントの牧師に至っては自分の家族を食わせるために職業としてやっているのか?と思える牧師も多い。
キリストから一番遠い存在であったりする。
おまけに、自分の意に沿わない信者を神の代理人として説教の中で断罪する輩もいる。
だいたい、戦後布教活動を行なった時代の牧師に比べ科学の発達した現代においては社会の厳しい現実からの逃避した人材も多い。
カトリック・プロテスタント信者ともキリストとはほとんど無縁な人が多いような気がする。
ついでにプロテスタントの牧師も一部の人材を除けば同様な気がする。

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2010年1月26日 (火)

東京地検の逮捕基準について思う

 検察の民主党に対する異常な執着について苦言を述べる人が多い。
私は、仮に(企業から)小沢幹事長が政治のためにお金を貰ったのかもしれないが野党だったので許す。少なくとも、政権政党から飛び出だして二大政党制を日本に実現させたのだから金も必要だったのだろう。政権政党の利権にしがみ付いていた自民党議員より、全般的に民主党の議員の方が顔が良い気がする。
鳩山由紀夫と邦夫の顔を比較するのが一番わかり易い。
不思議なのは、世論が鳩山首相の弟やお姉さんの脱税に関して全く批判しないことである。
鳩山首相は秘書に任せていたのなら貰ったお金を政治に使ったのだろう。弟は「正義の人」らしいから自殺でもするかと思ったが、全く知らなかったと開き直っている。
可哀想だが、巨額な脱税をしたのでお姉さんと邦夫氏には刑務所に入って頂きたい。検察が首相は許してもお姉さんと邦夫氏まで逮捕しないのは理解に苦しむ。
今後は巨額脱税しても刑務所に入らなくても良いという基準なのだろう。
また、17年間も捜査ミスで刑務所に入った菅家さんに謝らない人材を排出する組織も問題である。
いづれにしろ公務員(検察)という職種の人は日本が今どういう経済状態で民間人がどういう気持ちか認識していないのだろう。

まぁ、私の常識がおかしいのかもしれない。


参考まで:ゲンダイから

http://gendai.net/news.php?m=view&g=syakai&c=020&no=44445

町村信孝・元官房長官が代表を務める資金管理団体「信友会」は01年、北海道江別市の不動産(建物)を1000万円で取得。登記上の所有者は町村にした。しかし、収支報告書をみると、この建物は01年12月の新築なのに、取得の時期がズレている。さらに、この物件は07年に町村本人に600万円で売却されているのである。

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2010年1月25日 (月)

なぜ元検事という連中は検察を弁護するのか?

郷原名城大教授を除けば、元検事という連中は検察を弁護する。
職業柄、警察は相手を疑い、検事は被告という弱者を訴求する。
菅家さん事件の森川元検事も謝らなかった。自分は悪くないからという理由だろう。
世の中、自分が悪くなくても相手の立場に立って謝っている人が多数いることを知らない連中だ。
恵まれているというか愚かというか単細胞で生きていられるから幸せである。
O元検事という人が、テレビ朝日で小沢幹事長から検察が得点を稼いだと言って有頂天に喜んでいるコメントがあった。
検察は正義者の集まりだそうだ?馬鹿馬鹿しいとは思わないか?
自己の生きがいを人の叱責に置くような連中の集まりが正義であるわけがない。
戦前の特高やナチの連中と同じではないか!
自己の特権を最大限に活用して存在価値を示すだけでリスクを取らない哀れな国家公務員でしかない。

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政治家の先生や元検事、マスコミ、コメンテータに思う。

政治家の先生や元検事、マスコミ、コメンテータに思う。私みたいなものが評論するのはおこがましいと思う。
ただ、長く生きていると人の倫理観などだれでも程度に差がないような気がする。
政治家、マスコミ、元検事、みな自分に余裕のある時は倫理観もあるのだろう。
だいたい、テレビに出る連中は目立ちたがる連中が多い。世の中、リッパと言えるような人は目立つのがそんなに好きではないような気がする。
シスターのマザー・テレサと彼らを比較に出すのは少し可哀想かもしれない!
しかし、不勉強な司会者が正義感に燃えて増長して発言する姿ほど哀れなものはない。そして、本人がそれに気づいていないからなおさらである。

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2010年1月24日 (日)

ぎんちゃんの世界

たいした世界ではない。
なんとか生活している。
世の中自分よりたくさん貧しい奴がいると思う事で不安を軽減している毎日である。

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今日から生まれかわろう。

何を書いてよいのやら、取りあえずつぶやいてみた。

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