« 東京地検の逮捕基準について思う | トップページ | 日本のキリスト教信者の堕落 »

2010年1月28日 (木)

キリストと日本のキリスト教信者の乖離

キリストは弱者(抑圧された人々)に共感し癒しをなされた。
聖書を読む限りこれがベースであると思う。
すなわちキリスト自身がユダヤ教で罪悪と見なされた姦淫の子としてお生まれになった。
日本のキリスト教信者とは何か?
全く弱者に共感せず上から目線で弱者に布施をほどこしたり、清貧な態度の競争でキリストの右座に着いている輩が多い。
また、キリスト教信者にいたっては教義も勉強もせず「鰯の頭も信心から」という程度である。
カトリックの修道会系神父は別として、プロテスタントの牧師に至っては自分の家族を食わせるために職業としてやっているのか?と思える牧師も多い。
キリストから一番遠い存在であったりする。
おまけに、自分の意に沿わない信者を神の代理人として説教の中で断罪する輩もいる。
だいたい、戦後布教活動を行なった時代の牧師に比べ科学の発達した現代においては社会の厳しい現実からの逃避した人材も多い。
カトリック・プロテスタント信者ともキリストとはほとんど無縁な人が多いような気がする。
ついでにプロテスタントの牧師も一部の人材を除けば同様な気がする。

|

« 東京地検の逮捕基準について思う | トップページ | 日本のキリスト教信者の堕落 »

キリスト教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2042190/56396014

この記事へのトラックバック一覧です: キリストと日本のキリスト教信者の乖離:

« 東京地検の逮捕基準について思う | トップページ | 日本のキリスト教信者の堕落 »