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2010年2月19日 (金)

キリスト教的な実践とは

キリスト教的な実践とは、弱者への共感である。
言うは易しだが、実際その弱者の立場と同じ視線で共感する事は容易でないというより不可能である。
自分だけは部外者になって、つまり外にいて共感を叫んでいる。
身に迫った現実なら、同じ境遇になるのだけは御免だ。
今日、何回目か忘れたがスタインベックの「怒りの葡萄」を見て改めて思った。
様々な人の境遇と心理が刻まれている映画だ。
所で、ヘンリー・ホンダはワイアット・アープにしろ黄昏にしろ好きな俳優である。
華麗なる賭け・俺たちに明日はない・チャンプ・ネットワークなどの出ているフェイ・ダナウェイやスーザン・サランドン、メリル・ストリーブも同様に好きである。

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