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2010年3月 1日 (月)

煩悩を遠ざけるには

人との交わりの中で価値観の違いで疲れる事がある。
宗教など諭している年老いた身内から自分たちは良かった。
どんな人も最後は自分達さえ良ければいいのだ。
などど言われるとがっかりしてしまう。
勿論、多かれ少なかれ皆にそういう気持ちがあることは当然だと思う。
しかし、仏教もキリスト教でもそういう教義ではない
先祖に感謝しろと言って聖書の聖句を言われると愕然とする。
カトリックに改宗する前はプロテタントであったが、ここでも教会内のごたごたが多かった。
田舎の結婚式をしたS教会でも牧師との問題なのか教会を担っていた長老が他教会に移られた。
また、最初に行った都会の教会も分裂して多数が脱会された。
改宗前の近所の教会も牧師と信者の葛藤でバラバラになっている。
信仰を共にした集まりでも信仰以前の問題の方が優先されるようだ。
価値観は、環境から創造されると思うが何故かキリスト教会では問題が多い。
仏教徒は不信仰を自覚しているのと坊主に用がある時しか声をかけないので円満なのであろうか?
キリスト教の場合、聖書にもあるが自分がキリストに近いと競争する輩が多いのであろう。

聖書には
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。
と書いてあるが私の周りではだれも実行している人はいないし、聖書を読んでも理解していないのだろう。

個性の強い主人の場合は、人との接触を避け静かに瞑想する方が少なくとも他人に迷惑をかけないような気がする。

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