キリスト教との縁
昨日、神父に祈りをかけて頂いた指輪が指が太くなって痛くてたまらないので外した。
指輪自体は銀素材の安物であったが私にとっては、重要な物だったので買った店に行って広げて欲しいと依頼した。ところが、銀素材の指輪は後から加工ができないと言われ、チェーンを付けてネックレスにでもするように言われた。思い出してみると、カトリックに改宗した時にうれしくて偶像崇拝の極みで神父に霊を吹き込んで頂いた十字架のネックレスを持っている事を思い出した。話は長くなったが、昨日からネックレスを付けている。
ここからが本題である。
ふとテレビの録画「こころの時代」を見ると、雨宮 慧(あめみや さとし上智大学教授 教皇庁立聖書研究所卒)神父がNHKこころの時代で「福音のことば:旧約聖書から読み解く」という番組であった。本田神父同様に原語(ヘブライ語・ギリシャ語)で聖書を読み解くことができる教皇庁立聖書研究所卒の日本人神父である。
最近、ブログ(私以外は読まない愚痴だが!)でキリスト教信者の批判を繰り返していたため、神様が「少しは勉強しろ」と仰って機会を下さったのかと思った。
雨宮神父の解説は、わかり易く素晴らしいものであった。
簡単に纏めると、マルコ・マタイ福音書で「神よ見捨てたもうな:詩篇22章」という叫びは、ルカ福音書の表現「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。詩篇31章」と同じ思いを表わしているという話がよく理解できた。
番組の内容は素晴らしいものであったが、猫に小判なら良いほうで何人のキリスト教徒が見たであろうか?
旧約聖書を軽んじたキリスト教信者は、「キリスト教徒ではない」ことは自明である。
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