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2010年7月25日 (日)

キリスト教の布教

昨日、盆栽に水をやろうと玄関に出たらキリスト教の布教の方にでくわした。
いつもなら、インターフォン越しに断るのだが、面識のある町内の自治会員の方だったので話をするはめになった。
個人の主義主張は自由であるし、布教は立派なことだと思うが少々会話に疲れた。

話の中で、
        布教者⇒私の考え
聖書は完全なるもの⇒ヤーウェ・エロヒム・申命記・司祭資料の寄せ集め
新約聖書は神からの聖典⇒旧約聖書から作成
キリストの処刑⇒詩篇22・イザヤ書53章から作成
ヨハネの黙示録紀元95年⇒福音書と黙示録は作者が同一か確定していない
更に、長々と多くのことでかみ合わない会話をした。

ただ、「カトリック信者(プロテスタントも同じ)は勉強不足でキリスト教徒と呼べない。」などは同感であった。
今の世相は、非常に暗く、聖書が唯一の聖典で希望だとの論旨であった。

ここからは、自身の思いであるが、キリスト教の世紀末の話でいくら説教されても共感できない気持ちだ。
なぜかと言うと、キリストが死んでから2000年経っても未だに世紀末を迎えていない。
当時のパウロ書簡でも世紀末が来るのが遅れている事に対する問題が起きている。
私は、キリスト教の本質は、弱者への共感がまず第一であると考えている。(海外のファションでも欧米かぶれの知識人エリートでもないと考えている。)
少なくとも、バビロニア捕囚の奴隷から開放され、アケメネス朝ペルシャによるユダヤ人自治管理のため律法をエズラ主導で作成したものが旧約聖書である。
ローマ帝国占領下のイエス時代には、ユダヤ人達の中でサドカイ派(神殿)やファリサイ派(律法)による賎民への差別と抑圧など旧約聖書(ユダヤ教聖書)からは、程遠いものであった。
イエスは、それが不当だと説いたことを、既得権派のユダヤ人らにローマ帝国に対する反逆罪と訴えられて処刑された。イエスは神であったか、預言者であったか知る由も無い。

しかし、「鳩山由紀夫が弱者への共感もなく友愛を説いている」との意見に共感して頂けなかったことは残念であった。

私は、宗教が人々に与える良い面はたくさんあると思っているが、教会の建物や活動に大金をかけることに反対である。
間違いだったら経済的な損失が非常に大きいと思うからだ。
だから、海外の貧しい子供たちに直接教育資金(僅かな寄付金)を提供するほうを好む。

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