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2010年8月

2010年8月28日 (土)

キリスト教徒はなぜ豚肉を食べることができる

ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒は旧約聖書(モーセ五書)部分が同じである。 キリスト教旧約聖書:創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記の部分である。 レビ記11章の中に食物規定がある。 主はまたモーセとアロンに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。
以下抜粋 ・・・「獣のうち、すべて蹄の分かれたもの、すなわち、蹄の全く切れたもの、反芻(はんすう)するものは、これを食べることができる。 ただし、反芻(はんすう)するもの、または蹄の分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、蹄が分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。 豚、これは、蹄が分かれており、蹄が全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。」・・・
この律法であれば豚は食べてはいけない。だから、ユダヤ教徒やイスラム教徒は律法を守り、豚肉を食べない。当然、イエス時代のキリスト教徒(当時はユダヤ教の改革派)も、豚は不浄のもので食してはいけなかった。 しかし、イエスの使徒パウロは、モーセの律法がない時代の人(モーセの律法は出エジプト記)アブラハム・イサク・ヤコブも神の祝福を受けているため、モーセの律法を守ることにより神の祝福が得られるのではなく、キリストの贖いにより救われると説いた。そして、キリスト教(パウロ教と呼べき)から、食物規定や一部のモーセ律法が、信徒への適用から除外された。ユダヤ暦・男子の割礼などもなくなり、キリスト教に入信するには洗礼だけでよくなった。 この他に、ユダヤ教との大きな違いは、選民されたユダヤ人でなくとも、世界中の全ての人々に神の救いがあるという教えだ。 こうして、キリスト教徒は、豚肉やタコ・イカなど自由に食することができ、割礼なども不要になった。 しかし、旧約聖書に精通している欧米のキリスト教徒は聖書で禁止されているタコやイカのような鱗のない生き物はパウロが薦めてもあまり食べないのだろう。

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2010年8月24日 (火)

無為無策(むいむさく)の菅直人政権

「無為無策(むいむさく)とは、何の対処・処置もないまま、ただ手をこまねいて見ていること。」とあるが、菅政権の円高対策の対応そのものである。菅・野田・枝野・前原・仙石と無能で無責任な人材が要職を占めている。
確かに彼らは批判は一流だが、経済の仕組みなど知らないし、額に汗して働いた事の無い連中である。
ドブ鼠的な枝野に至っては、あれだけ自分が要職に就けないと小沢批判をして、全く能力もないのに幹事長を引き受け選挙で大敗した。
ところが、自分のこととなると謝るだけで辞めない。目立ちたがり屋の立派な政治家である。いくらなんでも、気は確かかと言いたい。
最近の若い議員ときたら自尊心とか責任感がない連中が多すぎる。
衆愚政治の責任は日本のマズゴミとそれに煽られている日本人の民度の低下である。
前回の衆議院選で民主党に投票したことが悔やまれる。日本がつぶれる前に、早期に衆議院を解散して民意を問うて欲しい。
必ず、次回はみんなの党か自民党に入れる。


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2010年8月23日 (月)

日本のプロテスタント教団の崩壊

初期キリスト教徒の皮肉のひとつは、イエスその人がユダヤ人であり、ユダヤ教の神を崇拝し、ユダヤの習慣を守り、ユダヤの律法を解釈し、ユダヤ人の弟子をとっていたという事実だ。その弟子たちもまたイエスをユダヤ教のメシアと考えていた。だが、イエスの死後わずか十数年のうちに、彼の信徒たちは、ユダヤ教徒に対立する宗教を造り上げてしまった。
バート・D・アーマン著「捏造された聖書」からの引用だが、私も全く同感である。キリスト教を学ぶと歴史背景が聖書そのものより大きな比重を占めるような気がする。本書の英語題は「イエス誤引用ー聖書を改変した人々とその理由の背景にある物語」で、内容は学術的で聖書学の成果をわかりやすく書いたものである。
イエスは、一世紀パレスチナのユダヤ人であり、死後に信徒たちは、彼をユダヤ教のメシアだと考えた。これに対してユダヤ人は、イエスは一介の遊行説教者であり、軽蔑すべき罪人として磔になったと主張したため対立が生まれた。
パウロ書簡のテサロニケの信徒への手紙(一)で「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、私たちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず。あらゆる人々に敵対しています。」と手厳しく非難している。
パウロ書簡では、律法遵守など不必要と言っているが、マタイ福音書では律法は重要であるとの主張である。更に、「イエスの死による贖いで人は救われる」というマルコ福音書やパウロ書簡と違い、ルカ福音書では贖いという考えがないなど、新約聖書の主張はかなり幅が広い。
バート・D・アーマ教授のいうように「この二十年ほどの間、歴史上のイエスに関する研究が爆発的に広がった。」このためイエスはラビ、社会革命家、政治的叛乱分子、キニコス派の哲学者、黙示録的な預言者、等々な見解がある。
私は、四世紀のコンスタンティヌス皇帝以前と以後でかなり違うのではないかと思う?
四世紀以前は、イエスの主張に従う底辺の民であったが、以降は、コンスタンティヌス皇帝のキリスト教徒に対する免税や援助により、文化的レベルの高い知識人や経済的な打算でキリスト教に改宗した信者も多い。

少なくとも、イエスはユダヤの律法(旧約聖書)から離れていることを糾弾したことは事実である。イエスの死後わずか十数年のうちに成立した「イエスの知らないキリスト教」は新約聖書からみる限り「反ユダヤ思想」の塊である。そして、コンスタンティヌス皇帝に「ニケーヤ公会議」で正統派と決められたカトリック「アタナシウス派」が現在も典礼中心のキリスト教として存在する。
最近、イエスの研究が進み、外国のプロテスタントや典礼中心のカトリックはともかく日本のプロテスタント教団などは崩壊するのではないかと思う。なぜかといえば、聖書中心主義というが、新約聖書の成り立ちが神の手によるものではなく、担い手の都合で書き換えられてきたことが明らかになってきた。日本の一般的なプロテスタント教団は日本語新共同訳新約聖書のみを断片的に読み「聖書の文言を引用した自己流解釈」で説教する牧師や信者がほとんどである。そして、ユダヤの律法(旧約聖書)から離れていることを糾弾したイエスに共感する底辺の民ではなく「生活の糧が牧師という職業」というイエスとは無縁な人が多い。
ユダヤ教は救われる民が限定されてなければ、キリスト教と同様に「弱者への共感」である。「イエス誤引用」がニューヨーク・タイムズでベストセラーになることを考えると米国人のキリスト教への感心の高さが理解できる。そして同様にキリスト教の倫理観も備えているように思える。菅直人・鳩山由紀夫に最も欠けたものである。

政治家で米国に相手にされない輩を評価するマスゴミが、衆愚政治を進める元凶のような気がする。

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2010年8月15日 (日)

日韓の歴史を語るには資格が必要

NHKで日韓の若者が歴史問題を討論する番組があった。
ある日本の若者が「ドイツがユダヤ人を殺した事と日本が朝鮮人に行ったことは同一ではない。なぜなら当時は朝鮮人も日本人であった。」という当然の歴史的事実を発言した。
この意見に対する朝鮮人映画監督の反応がおもしろかった。
あなたには、歴史を語る資格がないとの批判を浴びせた。

朝鮮人監督の経歴は以下のようなものだった。
1949年(昭和24年)7月6日、長野県佐久市に生まれる。 1968年(昭和43年)、東京朝鮮中高級学校 高級部を卒業。1976年(昭和51年)、『愛のコリーダ』(監督大島渚、主演藤竜也)、1978年(昭和53年)、『最も危険な遊戯』(監督村川透、主演松田優作)のチーフ助監督を務める。

私と同世代の人だから朝鮮人と差別されながら生きてきた事は大変だったのだろう。この監督は、東京朝鮮中高級学校 高級部を卒業ということだから北朝鮮出身らしい。
自分が朝鮮人で日本に住んでいるため彼は朝鮮人でも日本人でもない。つまり、朝鮮に渡れば日本以上に酷い差別があることを解っていると思う。
大日本帝国の統治政策は同時代に欧米諸国の行った異民族統治とは異質で、諸外国が異民族統治に対して行った悪政とは違う。日本の朝鮮支配は「植民地」という表現を用いるべきではない。

歴史を語るのに資格がいるなら討論番組や言論の自由を否定することだ。朝鮮と違い、エロ映画の監督が討論会で発言する自由がある。
感情的に意見を封殺する目的で、相手を貶める発言は見ていて不愉快であったし、自己の愚かさを万人にあらわした監督には同情する。
韓国人の若者の意見の中に、日本は誠実に謝っていないとの意見は正しいかもしれない。日本人は帝国主義の時代に朝鮮を併合したことは悪いとは思っていない。
しかし、朝鮮も日本がいなければ、中華人民共和国朝鮮自治区かスターリンの政治下であれば朝鮮人はカザフスタン辺りに移民させられ現在の朝鮮半島に白人しかいない世界かもしれない。
朝鮮という国は世界史の教科書には出てこないため日本人のみならず世界中の人が知らないのである。これは、日本の責任ではない。

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2010年8月14日 (土)

民度の低さが日本の政治家の姿だろう。

民主党というか最近の政治家には失望させられる。
いったい彼らは、何を考えて生きているのだろう。
「政治家になりたい」という動機付けは何なのだろうと問いたい?
コンプレックスからくる「売名的な自己主張」なのかと思いたくなる。
全共闘時代からの目立ちたがり屋の菅・仙石。
親族ぐるみで脱税を行う脱法の鳩山一族。
更に、キャリアも知識もない無能な口先三寸大臣。
選挙違反が適用されない洗脳集団の公明党。
目立ちたがり屋以外の何者でも無い小母さん党首が前面に立つ社民党。

「絶対的な倫理観」が欠如した愚かで不真面目な人材ばかりの日本の政治家には呆れる。
衆愚政治というが、日本の民度の低落の表れが政治家の姿だろう。

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2010年8月11日 (水)

キリスト教を皇帝支配と継承の道具として利用

キリスト教徒とユダヤ教の本質的な「弱者への共感」は旧約聖書から読み取れる。
ところで、塩野七生の「ローマ人の物語」の中で「キリスト教は支配の道具」という主張は非常に参考になった。
新約聖書について改めて深く考えさせられた。
コンスタンティヌス大帝は、様々な形でキリスト教を優遇し、信者を急速に増やし、支配の道具、方便として利用した。そして、キリスト教公認以後は、皇帝の正当性は「神」よって選ばれた者に変わっていく。
新約聖書のローマ 13:1~:2には「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」とある。
コンスタンティヌス大帝は、キリスト教の新約聖書に従い皇帝の権威は神によって立てられたものだとして、皇帝の継承を円滑にするために利用した。
そして、司教、司祭には労働を免除し、教会活動の資金は教皇領の寄進のみならず初代のサン・ピエトロ大聖堂・ラテラノ大聖堂・聖墳墓教会も寄進している。
ニケーヤ公会議を開催してキリスト教の教派の分裂を防ぐなど今日のカトリック教会の礎を作ったといえる。
こう考えると、当時5%くらいのキリスト教徒がヨーロッパ全域に普及したのは、キリスト教信条への共感より利益追求を優先した愚民の衆が多かったといえる。つまり、サターンの手先(皇帝が権威を神の信託から得る)が「キリスト教を支配の道具」として使ったともいえる。
ファションとしか考えていない日本の似非クリスチャンや日本のプロテスタント牧師と称する「生活の糧と不信仰」を隠しながら家業としている輩は、どう思うだろうか?

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2010年8月10日 (火)

日本には政治家がいないのか?

日本にはまともな政治家がいないのか?
菅直人に関係する以下のような記事があったが、本当なら民主党はこれで終わりであろう。

・菅直人首相(63)は10日、日韓併合100年を迎えるに当たり、韓国の植民地支配などへの「反省とおわび」を盛り込んだ首相談話を発表。

・菅首相周辺は、6月の組閣直後の支持率が60%台と高かった理由を『脱小沢・反小沢布陣』を敷いたためと分析していた。そこで、小沢氏に『起訴相当』の議決が出た場合、菅首相が電光石火で離党勧告を行い、支持率回復につなげようという準備が進められていたようだ。

もともと民主左翼政権には期待していないが、もう少し内輪もめなどやめて真面目に政治をやって欲しいという気持ちだ。
日本の総理大臣なのにこれでは「餓鬼デカ」ではないか!
あまりに不義理なことをして信用をなくすと、どの政党からも菅政権は相手にされないだろう。
菅・仙石・枝野のような倫理感に劣るような輩は人に意見をすべきでない。
浜幸が2億円で逮捕されたという記事があるがまだ可愛い気がする。
まず、衆議院を即解散して民意を問うて欲しいものだ!
次の衆議院選挙で菅直人を落選させることが東京多摩市民の重要事項である。


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2010年8月 2日 (月)

石原慎太郎「歴史の報復」に思う

石原慎太郎「歴史の報復」より抜粋
 人間の作り出した『神』もまたこの事態に所詮沈黙せざるをえない。人間が作り出したものなのに、いったん人間の手を離れると『神』はいたずらに絶対化され、その本質を逸脱してしまうようだ。私には、いわゆる一神教同士のいがみ合いがどうにも理解できない。歴史的には同根ともいわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間の激しい摩擦は理解に遠い、というより『神』の立場からすれば許しがたいものに違いない。
 しかしその背景にはやはり人間の歴史がもたらした所以(ゆえん)がある。宗教の独善がもたらした中世における、エルサレムの占拠を巡っての十字軍なる愚挙が歴史の中に長い尾を引いて、さらにキリスト教圏の白人によるイスラム教圏の民族への植民地支配がかの地での抑圧と憎しみを増殖し心理的に深い溝を造成してきた。そしてそれが今日の世界での激しい対立意識を加速している。宗教的な信条としてテロによる死を恐れぬ、歴史を背にした死を賭しての報復の遂行を無上の光栄とする、襲われる側からすれば狂信的な、攻撃側の姿勢は今後も防ぎようあるまい。

石原慎太郎は、狂信的と簡単に決めつけるが、そうであろうか?
キリスト教のモーセ五書はユダヤ教徒・イスラム教徒も同じであるから歴史的にユダヤ教とイスラム教は同根である。そして、イスラエルは聖書にあるように、神からの約束の地であるカナンは、ユダヤ教徒の領土であると考えている。イスラム教徒のパレスチナ住民は、自分たちの神への不忠義が災いをもたらしたものと考えている。
イスラム原理主義とは、2000年前にローマ帝国に最も激しく反乱したユダヤ教徒が現在のパレスチナのイスラム教徒の姿である。神は、アブラハムが息子イサクを生贄にするような忠義を求めている。死を賭しての報復は当然といえる。
宗教の独善がもたらした中世における、エルサレムの占拠を巡っての十字軍なる愚挙というが、今のキリスト教徒でも「キリストの信条」を正しく理解していない信者は多い。現在でも、キリストがユダヤ人で有色人だったことを知らないキリスト教圏の信者は多数いる。私は、十字軍や植民地支配は「本来のキリスト教徒の信条」とは無縁であると考える。バビロン捕囚から約2500年後の現在もパレスチナ・イスラム教徒の神への不忠義が今日の苦境をもたらしていると考えていることは理解できるのではないか?
そして、ユダヤ教徒、イスラム教徒と違い、キリスト教圏に住む人々はキリスト教信者といえるだろうか?
少数の日本のキリスト教信者や欧米のクリスチャンでも「イエスの弱者への共感」や「バビロン捕囚が起源となった神との契約」を受け継いでいるのか疑問に思う。

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2010年8月 1日 (日)

朝鮮文化遺産を破壊

米国海軍が韓米連合訓練の場所を「東海」(East Sea)と表記した翌日、「日本海」(Sea of Japan)に変えていたことが、29日に確認された。 米海軍はこの日、インターネットホームページ(www.navy.mil)で、25日から28日まで実施した東海連合訓練を紹介し、写真記事の題に「Sea of Japan」と表記した。
特に、金泰栄(キム・テヨン)国防長官が27日、東海上で訓練中の空母ジョージワシントンを訪問した写真記事にも日本海と表記した。

韓国の言っている事がいかに馬鹿げているか!
東海というなら日本から見れば北海、ロシアから見れば南海だ。メキシコ湾はアメリカとメキシコの間にあるがアメリカは文句言わないし、インド洋もインドの周辺国家から抗議はない。
朝鮮総督府なども以前は博物館として使用していたが、最近になって唯一の朝鮮文化遺産を破壊してしまった。台湾では台湾総督府の建物が今も使用されている。
この民族主義の国には文化遺産というものがないため焼肉を食うくらいしか行ってもすることが無かった記憶がある。

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