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2010年8月11日 (水)

キリスト教を皇帝支配と継承の道具として利用

キリスト教徒とユダヤ教の本質的な「弱者への共感」は旧約聖書から読み取れる。
ところで、塩野七生の「ローマ人の物語」の中で「キリスト教は支配の道具」という主張は非常に参考になった。
新約聖書について改めて深く考えさせられた。
コンスタンティヌス大帝は、様々な形でキリスト教を優遇し、信者を急速に増やし、支配の道具、方便として利用した。そして、キリスト教公認以後は、皇帝の正当性は「神」よって選ばれた者に変わっていく。
新約聖書のローマ 13:1~:2には「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」とある。
コンスタンティヌス大帝は、キリスト教の新約聖書に従い皇帝の権威は神によって立てられたものだとして、皇帝の継承を円滑にするために利用した。
そして、司教、司祭には労働を免除し、教会活動の資金は教皇領の寄進のみならず初代のサン・ピエトロ大聖堂・ラテラノ大聖堂・聖墳墓教会も寄進している。
ニケーヤ公会議を開催してキリスト教の教派の分裂を防ぐなど今日のカトリック教会の礎を作ったといえる。
こう考えると、当時5%くらいのキリスト教徒がヨーロッパ全域に普及したのは、キリスト教信条への共感より利益追求を優先した愚民の衆が多かったといえる。つまり、サターンの手先(皇帝が権威を神の信託から得る)が「キリスト教を支配の道具」として使ったともいえる。
ファションとしか考えていない日本の似非クリスチャンや日本のプロテスタント牧師と称する「生活の糧と不信仰」を隠しながら家業としている輩は、どう思うだろうか?

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