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2010年10月26日 (火)

現代では、反駁されたイエスの霊的復活が受け入れ易い。

正統派教会(アタナシウス派・カトリック)は、イエスの復活で甦った肉体は「血液が充満し、骨ででき、神経が交錯し、血管が縦横に走っているこの肉体、・・・・・生まれ、そして・・・・死ぬ(肉体)、つまり、疑いもなく人間である。」という主張である。しかし、異端として反駁・追放された者たちは、復活を否定することはしないが、霊的次元でイエスに出会ったという主張であった。
そして、正統派教会は、肉体の復活を否定するものは、いかなる者であれ、異端者であり、キリスト教徒ではないと宣言している。
パウロは、「兄弟たちよ。私はこのことを言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができなし、朽ち果てるもの(すなわち死すべき肉体)は、朽ちないものを継ぐことができない」(コリントⅠ・15・50)と主張する。パウロは復活を、肉体的な存在から精神的な存在への変貌として、一つの奥義として記述している。
正統派教会が、異端反駁として霊的な復活を退けたのは、使徒ペテロの後継者として諸教会の指導権を自分達だけで行使することを主張した若干の人々の権限を合法化するためであった。二世紀以降今日に至るまで、この教義は司教たちの使徒的継承権を教皇の権威の基盤として役立てた。
更に、四世紀になるとコンスタンティヌス大帝は、キリスト教の新約聖書に従い皇帝の権威は神によって立てられたものだとして、皇帝の継承を円滑にするために利用した。そして、司教、司祭には労働を免除し、教会活動の資金は教皇領の寄進のみならず初代のサン・ピエトロ大聖堂・ラテラノ大聖堂・聖墳墓教会も寄進し、ニケーヤ公会議を開催してキリスト教の教派の分裂を防ぐなど今日のカトリック教会の礎を作った。

ニケーア・コンスタンチノポリス信条は、「・・・聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。・・・わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。・・・」となっている。
私は、プロテスタント(日本基督教団)からカトリックに改宗したため(どちらの宗派も知っているが)だいたい同じように教会で朗読する。
ただし、プロテスタント時代に、信者は「血液が充満し、骨でできた肉体の復活とは思っていない」しカトックの信者に至っては典礼中心で日常的に聖書を読む習慣がない人がほとんどである。
更に、言わせて頂けば、教会に集うほとんどの信者は、イザヤ書のギリシャ語訳で「乙女」と「処女」の誤訳からマリア処女懐妊になったことなど知らない。
当時、二世紀は天動説でありダーウインの進化説も無かった時代の正統派教会(アタナシウス派・カトリック)の主意より、科学技術の発達やイエス研究の進んだ現代では、反駁されたイエスの霊的復活のほうが受け入れやすい。
実際、日本のプロテスタント信者は「血液が充満し、骨でできた肉体の復活とは思っていない」し、カトリック教会の某神父も磔刑の場面は旧約聖書のイザヤ書や詩編などから作られたものだという。(私もそう思っている)
バチカン第二公会議以降は、カトリックはプロテスタントに妥協的な精神で聖書の統一を呼びかけ新共同約が生まれた。(プロテスタントに妥協した為、過去に根づいた誤訳表現から抜け出せないため、私はフランシスコ会聖書研究所訳注や本田哲郎神父の私訳を使用している。)
こういう流れを見てくると、キリスト教とは当時の「諸教会の指導権を自分達だけで行使することを主張した若干の人々の権限の合法化」や「皇帝の権威は神によって立てられたものだとして、皇帝の継承を円滑にするための利用」など本来のイエスの主張とはかけ離れた次元である。
正確に伝承しない事が愚かなナチスによるユダヤ人殺害などの原因となったことは明らかである。イスカリオテのユダにしても最初のマルコ福音書では金銭の話があっただけだがマタイ福音書・ルカ福音書・ヨハネ福音書と年代が降るに従い悪く卑しめられヨハネ福音書ではサターンになっている。
現代社会にキリスト教の倫理観を普及させるには、終末思想だけでは無理であろう。
何かに打ち込むことやコミュニティとしての会堂に集うことも否定できないが、無駄な時間・遺産・金を本来の「弱者への共感」に向けるべきではないかと思う。日本のキリスト教徒は、聖書の文言を自分流に解釈して都合のよい説教する牧師や信者がほとんどではないか?

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