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2010年11月 9日 (火)

パウロはイエスから受け継いだのか?

キリスト教では聖餐式がある。プロテスタントではワインとパンをカトリックではホスティアと呼ばれる煎餅を食べる。
サンノゼのメソジスト教会では洗礼をしなくとも、聖餐式を受けられるが日本の教会はつまらないところが厳格で受けられない。カトリックのホスティアも同様で貰えないが、代わりに神父から安手があるから非常にありがたい。
そして、聖餐式の前に以下の文言が並べられる。

コリントの手紙(11・23)
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。

最近、思うのだが「ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。」とあるが、神父はともかく牧師も含めて相応しい教会員などいるのかと思う。
パウロは、イエスから受け継いだものとしてコリントⅠの手紙に記しているが、イエスは最後の晩餐でそのようなことを言ったのだろうか?
パウロはイエスには会ったことはないし、晩餐に立ち会ったわけでもない。また、マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネ福音書はパウロのコリントⅠの手紙より後になって書かれたものである。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」とあるが、創世記で、ノアとその子孫は「肉は命である血を含んだまま食してはいけない」とある。レビ記でも、モーセは「イスラエルの家の者であれ、・・・血を食べるものに・・・民の中から断つ」とある。
血を飲むという考えは一般的ユダヤ人の感覚からすれば、イエスがそのような象徴を用いたことは考えられない。
これの起源は、ギリシャ・ローマの魔術儀式にみられる。ギリシャの古文書の中に血を飲む(ワインを飲む)という象徴的な行為は結合のための魔術的儀式としてあった。パウロは、タルソスという小アジアの出身で、文化的にはギリシャ・ローマの環境で育った。
神学的なヨハネ福音書には、聖餐のしきたりとなるこの言葉は全く記されていなく、通常のユダヤの食事をしたとある。
原始キリスト教徒の記録には、ワインが血でパンが肉体を表わすとは一度も言及されていない。
これが事実なら、教会はつまらないことを長い間守ってきたことになる。
ユダヤでは、姦淫の子イエスと同様に血抜きをする漁師のペテロやアンデレは穢れた職業のため最下層の人とされていた。
パウロは、ユダヤ教に対する反駁の意志をキリスト教の儀式としたのかもしてないが、純粋なユダヤ人でユダヤ教徒のイエスから受け継いだとは思えない。

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