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2010年11月11日 (木)

主の祈り

主の祈り
天にまします我らの父よ願わくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。
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プロテスタントもカトリックも基本的に似たような文言である。

旧約聖書では、「ダビデの子である、王としてのメシア」は、各国散らばった十二支族をふたたびイスラエルに招き入れる任務を負うとされていた。確かに、「天に成る如く地にもなさせたまえ」とあるから、地上に神の国が実現することである。
しかし、パウロは、地上のエルサレムには特別の意味はなく、新たに出現する「霊的な天のエルサレム」こそが、キリストが王として存在する場所だと述べている。
1873年にコンスタンティノープルの図書館で発見された『12使徒の教訓(ディダケー)』は、聖餐の杯について「わたしたちの父よ。御子イエスをとおして、あなたがわたしたちに明らかにされた、ダビデの聖なるぶどうの木に感謝します。あなたの栄光が永遠に続きますように。」パンについて「わたしたちの父よ。御子イエスをとおして、あなたがわたしたちに明らかにされた命と知恵に感謝します。あなたの栄光が永遠に続きますように。」とある。ぶどう酒が血を、パンが肉を表すということには、まったく言及されていない。この記述は『死海文書』に記されている『メシアの聖餐』の記述にも沿っている。イエスの12弟子たちは、パウロが書いているような儀式は知らなかった。
もともと、イエスはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒であり、誰よりもユダヤ教の正典(律法)に忠実だったので、神の像を造ることはなかったし、その他(聖母や聖人など)の偶像を造ることもなかった。12使徒や信徒たちも皆、神の律法に忠実だったので、イエスの姿かたちを描いたり刻んだりすることはなかったはずだ。
更に、生前のイエス自身も12使徒も、当時の信徒らも、誰一人としてキリスト教の教義が定める正しい洗礼、すなわち「父と子と聖霊の御名による洗礼」は受けていないことである。彼らは、ヨハネから「悔い改めの洗礼」を授かっただけなのである。

このように見てくると、初期キリスト教会のイエスに連なる主の兄弟義人ヤコブの教会とパウロ神学は大きく異なっている。

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