イエスの生きた時代は旧約聖書の予言では世界の終末時期
イエスの生きた時代は旧約聖書によると終末の時期であった。
ダニエル書(9・24)七十週の予言
七十週が開始されるのは、ペルシヤのアルタシャスタ王がネヘミヤにエルサレムの町の城壁再建を許可する時からで、バビロンから引き揚げてきたエズラやユダヤ人たちが、神殿の再建を紀元前457年から始める時期から測ったらしい。
安息年は「一週」つまり七年に一度訪れるため、七十週は70×7=490(年)である。この期間全体が定められた時である。
「死海写本」のクムランに住む人々は「イザヤ書」
(40:3)荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。
(40:4) すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
(40:5) このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」
悔い改めによって初めて主をお迎きする年を計算するとエズラがバビロンから引き揚げて神殿の再建を始める紀元前457年から69週目は483年であるから紀元前-457年+483=紀元26年~27年になる。
要するに、当時の人々が洗者ヨハネやイエスが布教し始めた一世紀のローマ支配の頃が終末になる。
洗者ヨハネのことを人々は「マラキ書」
(3・1)「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている。」と万軍の主は仰せられる。
(3・7)あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。
の呼び掛ける預言者だと思ったのだろう。
このような計算のため、終末の遅延が起きた。パウロ書簡の中にも明らかに遅れていることが問題になっている記述がある。
テサロニケ第二の手紙
(2・2)霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙(テサロニケ書Ⅰ)によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。
ペテロの第二の手紙
(3・4)「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
ユダヤ戦争を終末と考え、終末の日は遅れていると当時問題になっていた。そして、現在の2000年後にもまだ起きてないない。このように考えると、当時のイエスはユダヤ教徒であり後世が今日のキリスト教を創作したという考え方もある。
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