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2011年5月

2011年5月27日 (金)

権力を弄び大相撲の開催を遅らす発言に我慢ができない。

八百長は大相撲の歴史であり騒ぐ話ではないのに、相撲などに平生は無関心な連中が大騒ぎをする。菅政権の高木義明文部科学相なども権力をもてあそんで相撲協会に言いがかりをつける。
高木文科相は校庭の利用基準を「年間被曝線量20ミリシーベルト以下」と定めたが、文科省と内閣府原子力安全委員会との基準を決める協議に議事録も残されていない。これに、小佐古氏が「とんでもなく高い数値だ」と抗議し内閣官房参与を辞任した。
また、浜岡原発の地震発生確立は84%との文科省の引用資料には、福島第一原発の地震発生確立は0.0%となっている。浜岡原発を止めるということは、全て福島と同等の確立以上の原発を停止、つまり原発廃止ということだ。
このような菅政権のいい加減な文科相が偉そうに権力を弄び大相撲の開催を遅らす発言をすることに我慢ができない。相撲に八百長があっても「菅政権の相手を騙すこと、人を欺くことしか頭にない連中」より遥かにまともである。目くじらを立てる話しではない。それより、国家のために当事者能力がない高木義明文科相や菅首相には早々に消えて頂くことが優先される。

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2011年5月26日 (木)

リコーグループで1万人削減に思う

リコーは今後3年間でグループの従業員を最大1万人削減する方針との報道があった。今期は約2兆円の売り上げに対して190億円の経常利益である。今後、国内で数千人の早期退職を募り2013年3月末は200億円の増益要因にするとのことだ。
野次馬試算で推測すると2012年3月末の構造改革費用は300億円というから退職割増金を平均1000万円/人として約3000人分の費用である。ターゲットとされる年代は中高年層の社員であるから年収700~800万円程度であれば、発表どおりに200億円の増益要因になるのだろう。残り7000人の削減人員は海外の製造部門なので、それほど費用はかからないのだろうか?
 リコーの比較対象企業は、キヤノン・富士フイルム(富士ゼロックス含む)であろう。実際、キヤノンの事業分野はカメラ・複写機・プリンタ・半導体製造装置など多岐に渡り国内ではM&Aで多数のシステム会社を傘下に抱え、潤沢な手元資金がある。一方、富士フィルムは既に、2009年度に構造改革を終了しており事業分野も液晶フィルム・医療・複写機など素材から個人・企業向け製品まで多岐であることと、元NHK経営委員会で乱暴なやり方で話題になった古森さんが社長であり、財務体質もリコーに比べ遥かに優る。リコーは比較対象企業より事業分野も狭く構造改革も遅れているため今回のリストラは当然のような気がする。
特に、リコーの場合は夕陽を拝むような複写機市場が主力事業のため他社に比較して成長分野が少ないのが問題である。過去に、海外販社の買収やIBM・日立などがプリンタ部門から撤退するときに買収した事業なども逆に固定費の増大につながり収益を圧迫しているのだろう。需要が伸び悩みタコが自分の足を食うような複写機市場では、人件費を含む雇用関連の改革は富士フイルムグループ以上に切り込まないと企業格差は更に広がるだろう。
当時、古森社長の下での富士ゼロックス構造改革は、国内の総務や経理、人事、研究、開発など1250人を削減すると言っていたが、実際には聖域を設けず30歳以上で営業職も含むほとんど全てが対象になったと聞いている。

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2011年5月24日 (火)

三浦綾子批判に対する感想

先日、NHKラジオ深夜便の「明日へのことば」で三浦朱門が語っている話をすると、妻が家にある三浦朱門著「老いれば自由に死ねばいいのだ」という本を差し出した。1992年8月1日の一刷であるから当時60半ばで書かれた作品である。キリスト教に通じてない人でも読んで面白と思う。
楽しく読まして頂いたが、「三浦綾子さんは、プロテスタントの敬虔なキリスト教徒のようですが、遠藤周作の神と、神に対する考え方は違うといっていたようです。それでは、三浦綾子さんのキリスト教は正常かというと、そうとも言えないのであって、めいめい自分のキリスト教というのがあるのではないでしょうか。」という三浦綾子批判には賛同できない。
遠藤周作を直接は知らないが「沈黙」「深い河」はキリスト教を題材にした小説として評価は高くてもキリスト教とは関係はない。三浦綾子が「遠藤周作の神と、神に対する考え方は違う」というのは的を得ていると思う。何故なら、遠藤周作が宗教学者なら解るが、キリスト教信者の立場から神を語るには目線が高すぎる。
行動の伴わないキリスト論など思い上がりであり神への冒涜であることを三浦綾子さんは指摘したのだと思う。だいたい、遠藤周作にしても三浦朱門にしても一般人より良い環境の中で生きてきた人たちが、イエスと同様に穢多や部落民として差別された弱者の視線で世の中を見ることができるだろうか?私は、驕りや自惚れが潜在意識の中にあると思う。キリスト者として注意しなければならない一線を越えている姿だと思う。また、「三浦綾子さんのキリスト教は正常かというと、そうとも言えない」と批判するが彼女は、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など弱者の目線で世の中を観る素地があると思うので、イエスやペテロとまでは無理でも遠藤周作に比べれば三浦綾子のキリスト教は正常だと思う。加賀乙彦にしても俗人がキリストを語る作品からキリスト者が共感を得るのは容易ではない。キリスト者は、文壇での評価より聖書のヨブ記にもあるように「生き様と神に対する姿勢」に共感する。キリスト教信者として三浦綾子さんのキリスト教会に対する真摯な態度は見習うべきものがあると思う。
今から約20年前に書かれた作品なので、現在の三浦朱門さんの考えとは違う事も多いだろうが、三浦綾子批判に対する浅短な小生の感想である。

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2011年5月21日 (土)

居場所が無い人々のたまり場が日本のキリスト教会

1980年ころ現地駐在員のサポート目的でサンノゼに行くことが多かった。当時、私は日本キリスト教団のパブテスト系教会に属していたため、ホテルでぶらぶらするより日曜日は日系人が多いサンノゼのプロテスタント系Wesley United Methodist Church教会の礼拝に行った。Google Mapで検索するとNorth 5th Street沿いに今も当時の教会がある。
その教会は、日本語と英語の両方で礼拝を行なっていたが、ほとんどの信者は英語の礼拝に出席し、日本語の礼拝は日系人一世が少数で守っていた。Google Mapの画像で見る限り、当時の建物と同じである。ヨーロッパの荘厳な石造りの教会ではなく、日本のどこにでもあるような木造建築だ。日系人の集まり(コミュニティ)だが若い人はほとんど日本語を話せず、日系人としてのアイデンティティを保つことが大変だと感じた。日系人一世の話では、「仕事が忙しくて日本語を教える余裕が無かったので可哀想なことをした。」との話であった。英語しか話さない彼らは日本人の風貌でも考え方は完全に米国人そのものだ。米国のような移民国家は、移民元の人種で群れを作ることが多いのだろうと思った。その実、私も日系人社会の教会に行くとなにか人種的なストレスから解放されて安心感があった。米国プロテスタント教会は、キリスト教会という宗教的な位置づけと他方で日系人のコミュニティとして存在意義が強く感じられた。
一方、日本のキリスト教会はどうであろうか?
プロテスタント系は、現実社会からの逃避で教会活動を熱心に行い自分をキリストの右座に位置づけたいと見受けられる人も多い。自分たちで偏狭な序列をつくり自身の存在価値を鼓舞したいのだろうか?
私に言わせれば、競争社会の中で敗れた人たちが教会で存在意義を見つけるため新たな序列を作りたいのかと勘ぐってしまう。熱心な信者だった人が零細企業を始めたとたんに(会堂建築のための)教会債券を現金化しろと言い出し教会には全く姿を見せなくなった。また、里子にした子供と折り合いが悪く施設に戻すときに、原因は全て子供のせいだと言わんばかりの主旨を書面にし、教会員に配布した信者もいた。本当の親なら子供の不利になることは親自ら被るであろう。私だったら、傷つき易い子供の立場を尊重する。更に、牧師など自分の子供の教育のために教会活動を行なっているような人も多い。信者には、信仰の証しとして積極的に献金をしろといいながら自身の子弟は授業料が高い私立高校・私立大学に行かせるという呆れた連中も多かった。一番腹が立ったのは、通勤に不便なためマンションを引っ越したり、子供が遠慮なく遊べるようにと戸建てに引越した折に説教の中で批判する牧師もいた。自分は人様の献金でなに不自由なく暮らしていて、私が私の借金で買った家に贅沢だとの批判には閉口した。もっと献金をしろと言いたいのだろうが、出来の悪い牧師の子弟の教育費に化けるのは問題でないらしい。私が属したプロテスタント教会では、教会に献金したお金は牧師謝儀(牧師の生活費)や会堂維持費に使用され弱者への施しには回らなかった。自分たちで集めた金を自分たちで消化していた。
この点、カトリックの場合はかなり積極的にカリタスなど通して献金を貧しい国へ送金している。貧乏人でも信者として参加できるため外国人も多い。神父やシスターが独身を通すことで生活維持費がかからずプロテスタントに比べて財政的に豊かである。月定献金をしている信者も6割程度以下しかいないようだし、全くそういう意識のないカトリック信者も多い。ただし、キリスト教信者自身はどこも同様でイエスのいないコミュニティであることが多い。カトリックの場合は、現役時代は教会には縁がなく退職後に行く場所がなくて参加する信者も多い。そして、聖書も読まずイエスの主張に共感もしない人々である。一方、プロテスタント教会は、自己流な解釈で全くイエスと縁が無い教会や信者も多い。日本のキリスト教会は人が集まり組織だった場所ではあるが、米国社会の人種差別を癒したり、移民者としての共感を持つ共同体でもない。日本社会の中で居場所が無い人々のたまり場になっているような気がする。

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2011年5月19日 (木)

与野党議員を含めて「同じ穴の狢」

菅首相は、飯舘村議会に「皆さんも議員として地元の有権者の皆さんから突き上げというか、大変な要請も受けていると思う」と言った。村議自身や親戚にも和牛農家や酪農に従事している人は多い。飯舘村の人々は、ある日突然、先祖代々受け継いできた事業ができなくなり、自身の家屋にも立ち入りが禁止された。菅首相は、村議が突き上げを受けて大変だと労ったつもりだろうが、自身の本音が透けて見える。つまり、「頭の中は政権延命しかない」ため村議の心情を勘違いしたのだろう。被災難民に対する共感と責任感から、東電と菅政権に怒り心頭な飯舘村村議員の心情を全く理解していない。更に、経済のイロハも知らない幼稚な官房長官が銀行に債権放棄を求める舌禍で株式市場を大混乱させている。国際競争の中で適者生存は容易でなく、思考過程が存在しない「菅政権の世界」と違うことを認識して頂きたい。与野党議員は、私利私欲に走る政府の面々と「同じ穴の狢」だからではないか?救国内閣は、河野太郎や渡辺喜美、樽床伸二がだめなら亀でも虎でも志位和夫でも今の菅直人より益しではないか!

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2011年5月16日 (月)

東日本大震災から学ぶこと

 若い頃は、生活で精一杯なため聖地旅行など信仰もない連中の道楽だと言っていた。ネット検索すると聖地旅行をした多くの人たちが旅行記としてホームページを作成している。信仰が薄い私の意見は余計なことだろうが、暇だから読んでみると、聖地旅行の前に先ず聖書を読んだほうが良いような人も多い。特に、金のかかるプロテスタント系宗派は、裕福な人が多いため聖地旅行に行った後に旅行記を書くのだろう。
 NHKに「深夜便」というラジオ放送がある。比較的歳を重ねた人が「明日へのことば」という時間に経験談などを語っている番組である。出席者は、NPOとかNGOなど何かしらボランティア活動などで評価された人が多い。私に比べ皆さん立派なのは判るとしても、本人は気づいていないようだが自己顕示欲の塊なのかと思う人も多い。それぞれ信念を持って活動するのだからしょうがないとしても、個人の狭い切り口の教訓や価値観には閉口する。徳が備わってくれば多少の謙虚さがあっていいようなものだが全く見受けられない人もいる。聞いていて恥ずかしくなるため、不信心な私でも宗教の片割をかじっていてよかったと思う。
今朝の「明日へのことば」は、曽野綾子の旦那で三浦朱門であった。曽野綾子(カトリック)や三浦綾子(プロテスタント)の本は何冊か読んでいたが、三浦朱門は「希望の扉を開く:ヨハネ・パウロ2世 曽野綾子共訳」しか読んでいなかった。東日本大震災から学ぶことは、神は不公平であり、「人が公平を叫ぶのは平和な時である」との説は考えさせられた。死を受け入れるという姿勢は、神に対する信仰の証しのような気もする。三浦朱門の肩の力が抜けた誇らない話し口には説得力がありキリスト者として共感するものがあった。仕事柄、海外に行く事はあったが酒を呷っていることが多く、少し足を伸ばせば遺跡や聖地に行けたのに惜しい事をしたと思う。そこで、信仰の薄い私も道楽だとは思うが聖地旅行などして旅行記など書いてみようと考えている。
ところで、NHKは良い番組も多いが、東日本大震災の折に「田中好子」さんが亡くなられた放送時間が長いのではと投稿したところ、「NHKがやっていることに口出し無用だ」との主旨の回答には腹が立った。批判を聞く気がないなら「ご意見欄などつくるな」と言いたい。税と同じNHK受信料を強制的に徴収し、倒産危機もなく公共電波を独占的に占有して成り立っている企業の職員は、新聞記者とは違うことを理解していないらしい。そして、基本的な応酬話法として顧客に物を言う時には、不本意でも「今後の番組の編成にご意見を参考にさせて頂きます。」と付け加えるのは普通であろう。東京電力もこの類の感覚だから被災難民に対する共感もなく老後の生活のため、退職金や年金は削れないと言うのであろう。まだ、市長が公選制の市役所職員の方が遥かに対応がよい。

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2011年5月11日 (水)

石が流れて木の葉が沈むような菅政権

浜岡原発の地震発生確立は84%との引用資料には、福島第一原発の地震発生確立は0.0%となっている。即ち、地震の発生確率が低いから安全という根拠はない。浜岡原発を止めるということは、全て福島と同等の確立以上の原発を停止、つまり原発廃止ということだ。現実に関西電力美浜原発1号機について西川福井県知事は、福島第一原発事故の知見に基づく長期運転に伴う安全対策に「まだ問題がある」と指摘し定期検査中の原発の再起動は認めない考えを改めて示した。政府の無責任な対応を見ればリスクを県民に押し付けることはできないから誰が県知事でも当然の判断である。ところが、菅直人首相は浜岡以外の原発には停止を求めない考えを示しているが、おかしな話である。
菅政権の思考過程はBlack boxとの批判があるが、全く思考などしていない。後先も考えずセンセーショナルなパーフォーマンスを繰り返し群衆心理に迎合する政治だ。石が流れて木の葉が沈むような菅政権の政治を早く辞めさせなければ国が沈んでしまう。浜岡原発の停止要請をしてから、将来のエネルギー計画について「いったん白紙に戻して議論する必要があるだろうと考えている」では困る。現在は、浜岡以外の原発の稼動も不可能な状況になってしまっている。理想論は結構だが経済は生き物であり、企業は競争社会の中で適者生存である。菅政権のようないい加減で無責任な連中に任せてしまうと日本は生き残れない。与野党は一致協力して菅直人を政治から排除すべきである。

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2011年5月 2日 (月)

管を以って天を窺(うかが)う異常内閣

文部科学省が校庭の利用基準を「年間被曝線量20ミリシーベルト以下」と定めた。しかし、文科省と内閣府原子力安全委員会との基準を決める協議に議事録が残されていない。そして、小佐古氏が「とんでもなく高い数値だ」と抗議し内閣官房参与を辞任した。
 私は民間企業に勤務していたから信頼性を担保するISO9001相当の手続きは世の中の常識だと思っていた。組織と権限は文書化され、その責任者および決定過程の議事録は当然作成される。今回、議事録がないということに呆れてしまった。そもそも菅政権の本人含め大臣という連中は民間企業の勤務や管理職経験はないとしても真面目に世の中で仕事をしたキャリアがあるのかと言いたくなった。失礼かもしれないが、こんな連中に国の運営を任せられるか!と言いたい。放射能汚染は、人命に関わる重大問題である。政権の都合で避難場所が確保できないから勝手に年間被曝線量を自分に都合がいいように決めるなど許されない。将来、刑事告発を受ける可能性もある重要事項の決定に議事録がないなど言語道断である。今の与野党議員は国民の代理人(政治家)としての役割を果たしているといえるか?与野党が私利私欲を捨てて、国民のために管を以って天を窺う異常内閣を早期に終焉させるべきだ。

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