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2011年5月24日 (火)

三浦綾子批判に対する感想

先日、NHKラジオ深夜便の「明日へのことば」で三浦朱門が語っている話をすると、妻が家にある三浦朱門著「老いれば自由に死ねばいいのだ」という本を差し出した。1992年8月1日の一刷であるから当時60半ばで書かれた作品である。キリスト教に通じてない人でも読んで面白と思う。
楽しく読まして頂いたが、「三浦綾子さんは、プロテスタントの敬虔なキリスト教徒のようですが、遠藤周作の神と、神に対する考え方は違うといっていたようです。それでは、三浦綾子さんのキリスト教は正常かというと、そうとも言えないのであって、めいめい自分のキリスト教というのがあるのではないでしょうか。」という三浦綾子批判には賛同できない。
遠藤周作を直接は知らないが「沈黙」「深い河」はキリスト教を題材にした小説として評価は高くてもキリスト教とは関係はない。三浦綾子が「遠藤周作の神と、神に対する考え方は違う」というのは的を得ていると思う。何故なら、遠藤周作が宗教学者なら解るが、キリスト教信者の立場から神を語るには目線が高すぎる。
行動の伴わないキリスト論など思い上がりであり神への冒涜であることを三浦綾子さんは指摘したのだと思う。だいたい、遠藤周作にしても三浦朱門にしても一般人より良い環境の中で生きてきた人たちが、イエスと同様に穢多や部落民として差別された弱者の視線で世の中を見ることができるだろうか?私は、驕りや自惚れが潜在意識の中にあると思う。キリスト者として注意しなければならない一線を越えている姿だと思う。また、「三浦綾子さんのキリスト教は正常かというと、そうとも言えない」と批判するが彼女は、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など弱者の目線で世の中を観る素地があると思うので、イエスやペテロとまでは無理でも遠藤周作に比べれば三浦綾子のキリスト教は正常だと思う。加賀乙彦にしても俗人がキリストを語る作品からキリスト者が共感を得るのは容易ではない。キリスト者は、文壇での評価より聖書のヨブ記にもあるように「生き様と神に対する姿勢」に共感する。キリスト教信者として三浦綾子さんのキリスト教会に対する真摯な態度は見習うべきものがあると思う。
今から約20年前に書かれた作品なので、現在の三浦朱門さんの考えとは違う事も多いだろうが、三浦綾子批判に対する浅短な小生の感想である。

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