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2011年5月21日 (土)

居場所が無い人々のたまり場が日本のキリスト教会

1980年ころ現地駐在員のサポート目的でサンノゼに行くことが多かった。当時、私は日本キリスト教団のパブテスト系教会に属していたため、ホテルでぶらぶらするより日曜日は日系人が多いサンノゼのプロテスタント系Wesley United Methodist Church教会の礼拝に行った。Google Mapで検索するとNorth 5th Street沿いに今も当時の教会がある。
その教会は、日本語と英語の両方で礼拝を行なっていたが、ほとんどの信者は英語の礼拝に出席し、日本語の礼拝は日系人一世が少数で守っていた。Google Mapの画像で見る限り、当時の建物と同じである。ヨーロッパの荘厳な石造りの教会ではなく、日本のどこにでもあるような木造建築だ。日系人の集まり(コミュニティ)だが若い人はほとんど日本語を話せず、日系人としてのアイデンティティを保つことが大変だと感じた。日系人一世の話では、「仕事が忙しくて日本語を教える余裕が無かったので可哀想なことをした。」との話であった。英語しか話さない彼らは日本人の風貌でも考え方は完全に米国人そのものだ。米国のような移民国家は、移民元の人種で群れを作ることが多いのだろうと思った。その実、私も日系人社会の教会に行くとなにか人種的なストレスから解放されて安心感があった。米国プロテスタント教会は、キリスト教会という宗教的な位置づけと他方で日系人のコミュニティとして存在意義が強く感じられた。
一方、日本のキリスト教会はどうであろうか?
プロテスタント系は、現実社会からの逃避で教会活動を熱心に行い自分をキリストの右座に位置づけたいと見受けられる人も多い。自分たちで偏狭な序列をつくり自身の存在価値を鼓舞したいのだろうか?
私に言わせれば、競争社会の中で敗れた人たちが教会で存在意義を見つけるため新たな序列を作りたいのかと勘ぐってしまう。熱心な信者だった人が零細企業を始めたとたんに(会堂建築のための)教会債券を現金化しろと言い出し教会には全く姿を見せなくなった。また、里子にした子供と折り合いが悪く施設に戻すときに、原因は全て子供のせいだと言わんばかりの主旨を書面にし、教会員に配布した信者もいた。本当の親なら子供の不利になることは親自ら被るであろう。私だったら、傷つき易い子供の立場を尊重する。更に、牧師など自分の子供の教育のために教会活動を行なっているような人も多い。信者には、信仰の証しとして積極的に献金をしろといいながら自身の子弟は授業料が高い私立高校・私立大学に行かせるという呆れた連中も多かった。一番腹が立ったのは、通勤に不便なためマンションを引っ越したり、子供が遠慮なく遊べるようにと戸建てに引越した折に説教の中で批判する牧師もいた。自分は人様の献金でなに不自由なく暮らしていて、私が私の借金で買った家に贅沢だとの批判には閉口した。もっと献金をしろと言いたいのだろうが、出来の悪い牧師の子弟の教育費に化けるのは問題でないらしい。私が属したプロテスタント教会では、教会に献金したお金は牧師謝儀(牧師の生活費)や会堂維持費に使用され弱者への施しには回らなかった。自分たちで集めた金を自分たちで消化していた。
この点、カトリックの場合はかなり積極的にカリタスなど通して献金を貧しい国へ送金している。貧乏人でも信者として参加できるため外国人も多い。神父やシスターが独身を通すことで生活維持費がかからずプロテスタントに比べて財政的に豊かである。月定献金をしている信者も6割程度以下しかいないようだし、全くそういう意識のないカトリック信者も多い。ただし、キリスト教信者自身はどこも同様でイエスのいないコミュニティであることが多い。カトリックの場合は、現役時代は教会には縁がなく退職後に行く場所がなくて参加する信者も多い。そして、聖書も読まずイエスの主張に共感もしない人々である。一方、プロテスタント教会は、自己流な解釈で全くイエスと縁が無い教会や信者も多い。日本のキリスト教会は人が集まり組織だった場所ではあるが、米国社会の人種差別を癒したり、移民者としての共感を持つ共同体でもない。日本社会の中で居場所が無い人々のたまり場になっているような気がする。

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