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2011年6月28日 (火)

科学者と宗教者は、価値観が似ている

NHK深夜便という番組の中で「遺伝子の謎に挑んで」という講話があった。興味深かったのは、何十億年にわたって遺伝子は引き継がれているが、98%は解明されていないことと、後天的な環境の影響で生き様が大きく変わることだ。そして、地球生命体として自然界の動植物は繋がっていて、その生命の発生する確率は天文学的数字だという内容だった。科学者という職業の人たちは、自然の摂理の研究から自身の矮小なことを悟るのだろう。一方、宗教は神への畏敬の念から同様の謙虚さがある。創世記1章26節において、神は「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」と書かれている。科学者のいう自然は、「現実世界」であるが、宗教の神は人が創ったものだろうから「バーチャル世界」である。両方とも、よくわからない世界として乱暴に括ってしまえば、神と自然は同義語のような気もする。科学者と宗教者は、価値観が似ているが、取り組み方は全く違うように思う。
キリスト教しかわからないが、基本は上から目線ではない弱者への共感である。全てとは言わないが、科学者の場合は、研究から自身の矮小なことを悟っても生き方に反映されていない場合が多い。自分は、知識者として人に教えるという世界に落ちいって悟りとは程遠い。某年老いた元プロ野球監督が、選手を再生して活用する手法を大いに褒めていたが、企業内では費用対効果で数値が計られるため当たり前のことである。それより、いつまでも女々しく監督解任の件を訴え続ける姿に呆れてしまう。
そして、マタイ22章を思い出す。
「それで、僕たちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『友よ。あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王は僕たちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」という行がある。
ここで言っていることは、キリスト(王)を、宴会場(最後の審判)で救い主として受け入れることを『礼服を着る』といっている。私はこの箇所を、突然くるかもしれない死を受け入れる準備と解釈している。
自然の摂理に従えば永遠に生きる生命体はなく個々は小さな存在である。棺桶に足を突っ込む年になっても、自分のこととなると全く自然の摂理を受け入れようとしない姿だ。生命体の遺伝子には他を押しのけてでも自分は生き延びるという内容が刻まれているのだろうから、頭で理解していても徳を積んでいなければ弱者への共感は容易ではない。
そして、自分のことを棚に上げていっている私も、全く同じ輩であることに気づかされる。

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