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2011年6月25日 (土)

「表現の自由」とは何か?

つボイノリオの金太の大冒険というレコードが1975年に発売された。当時、これは面白いと購入したが、発売後20日で日本民間放送連盟で放送禁止になった。引越しの手伝いに来た後輩が是非欲しいというので記念にあげてしまった。歌詞は以下の文言くらいしか覚えていなかった。

金太 負けるな(金玉 蹴るな)
金太 マスカット ナイフで切る(金玉 スカット切る)
金太 マカオに着く(金玉 顔に付く)
金太 待つ 神田(金玉 掴んだ)

最近は、放送禁止指定楽曲(要注意歌謡曲指定制度)が消滅したため放送可能になったらしい。早速、YouTubeで探して「つボイノリオの金太の大冒険」を聞いた。
何度聞いてもおかしくて笑える。この程度の歌詞でなぜ「表現の自由」が制約されるのかと疑問に思う。昔は、青江三奈の「ため息の部分」をNHKの紅白で歌うことは不適切だと削られたのを思い出す。そして、青江三奈のように髪の毛を赤や金髪に染める女など娼婦のように蔑まれていた。
最近の女性ファッションと比較すれば、馬鹿げた議論をしていたものだ。昨今、痴漢が非難される中、昔のシミーズに股引で街中を闊歩している女性側の姿に問題はないのかと言いたい?
更に酷いのは、日本高等学校野球連盟が球児と関係のない不祥事で「出場自粛」や「丸刈り」、「優勝祝賀会の内容」、「応援の服装」、「特待生の入学」とありとあらゆる干渉を高校側に行なっている。高野連とは、高校野球人気を背景に勝手に規則を作り、「いちゃもん」をつけて自己顕示欲を満たす最低の面々だ。本来なら高校スポーツを一律にした規則を作り、高野連などが口出しすべき問題ではない。

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