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2012年5月21日 (月)

科学や技術が解からない素人集団に不安

「名張毒ぶどう酒事件」の第7次再審請求差し戻し審は、奥西勝・元被告(86)が捜査段階で自白した農薬「ニッカリンT」が実際に事件に使われたかが、事実上唯一の争点である。ニッカリンTは既に製造・流通しておらず、高裁はメーカーに依頼して再製造し、専門家に鑑定を依頼した。実験では、ニッカリンTを水に混ぜ、副生成物ができるかを最新の手法で調べたところ一定濃度の副生成物ができた。当時の鑑定では事件現場に残されたぶどう酒から副生成物が検出されていないため明らかに使われた農薬が特定できない。そして、検察側が主張する根拠が消える。農薬「ニッカリンT」が含まれなければ、明らかに奥西被告の犯行ではない。しかし、検察が主張していることは、含まれた可能性があるということだ。つまり、残ったぶどう酒に農薬「ニッカリンT」があったことを証明できないのは、水に溶けてしまって「なにも残らない」という論法だ。「なにも残らない」と農薬を特定もせず殺人犯にされたのでは、たまったものでない。
「足利事件で池本寿美子裁判長の再審放置」、「村木元局長逮捕の担当検事の証拠FD捏造」、「小沢裁判の担当検事の虚偽内容の記載」と裁判官や検事の倫理観が問われる問題が多発している。はっきり言って、彼らの倫理感は、一般人と同等か以下のような気がする。足利事件では、池本寿美子裁判長は弁護側の再審請求に対して棄却決定するだけで6年も費やしたことに、何ら反省の姿勢を見せていない。村木元局長逮捕事件では主任検事は、事務屋さんだからFDというのは紙媒体と同じだと思い、更新すれば前のデータが消えると思っていたらしい。IT機器開発者だった私には、「マイクロソフトのWordで書き換えたのなら、表示は更新データしか画面に現れないが、FDの中は更新されたデータと書き換え前のデータ記歴が物理フォーマット上のセクターに残っているので、後から手を加えた可能性は容易に判別できる。」ことは常識である。
今回の「名張毒ぶどう酒事件」でも判断する裁判官や追及する検事という人たちは技術屋ではなく事務屋さんである。素人の事務屋さんがこんな低次元の検証結果で死刑判決を争うのでは被告人が可哀想である。裁判官も検事も応酬話法は得意だろうが、所詮、グローバル競争もなく失業もない公務員だ。こんなレベルの説得性で、日本がグローバル競争で勝ち残り技術立国になったと思っているのだろうか?技術屋で一般人の私には農薬「ニッカリンT」が残留したことが証明できない時点で、被告の無罪は明らかだと考える。科学や技術が解からない司法の素人集団が人を裁くことに不安を感じる。

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