なぜ、学友の集まりは楽しいのだろう?
人との繋がりは、多数あっても利害や環境が変わると途切れてしまうことが多い。人事異動で、上司が左遷された途端にその周りの人垣がなくなることは、よく見てきた光景だ。退職後であれば、葬式で会っても、会社という縛りを解かれているため他人行儀になる。親の盲目の愛は、ありがたいものだが、よほどできた親でないがぎり受けた側が窮屈でしかたがない。親と一緒に暮らした接点からしか交われない。それに引き換え、大学時代の交わりは、親の束縛から開放されて子犬が好奇心で世の中を見るような時期だ。この時空の交わりを現在に移行させても、それぞれ、生活は持っているがお互いの負担にはならなし、利害関係も生じない。そして、当時の開放感が現在の閉塞感の中にいる自分を解き放って、昔の繋がりや雰囲気が取り戻せる。これが、黄昏期の親しい学友の集まりが非常に楽しい理由だろうか?
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