« 黄昏期こそもっと積極的に活動すべきだ | トップページ | 我々は神の母胎の一部である »

2012年10月18日 (木)

終身雇用にしがみつく時代は終わった

日本IBMと聞くと、コンピューター関連の仕事の関係でよく通ったので懐かしい。半蔵門線の水天宮前(箱崎)に日本IBMの箱崎事業所がある。IBMに行くことの楽しみは、途中にある喜多方ラーメンの店で食事が取れることだった。ずいぶん昔の話になるが、サンノゼにあるF社の北米ヘッドクオーター(headquarters)に寄ったとき米国の解雇が話題になっていた。朝、会社に来たら、解雇通告を受け、午後4時までに荷物を纏めて出て行けと言われたそうだ。多少面識があったテキサス大学卒の日系アメリカ人の社員も、「訴えてやる」と泣きながら会社を後にしたと聞いた。その後、彼女に会った時は、日系企業のキヤノンの営業をしていた。米国は、終身雇用という考え方がないため、雇用が流動的だと思った。
今回、日本IBMは、解雇通告を行い、当日のうちに会社から締め出すロックアウト型解雇をおこなった。日本IBMのトップが外人に代わったため、解雇方式も米国化が進んだのかと思う。以下、実際にあった指名解雇である。7月に解雇通告されたというAさん(元営業支援部門)の状況を聞くと、IBMが米国型のクビ切り策をしている。
①7月20日(金)午後5時に会議室に行くと、なぜか上司が部屋をノックする。中に誰かいるのだと気付き、入室すると部門長と人事担当者が書類を開いて座っている。上司は「連れてきました」とだけ言い残し、そそくさと会議室を後にする。
②部門長にうながされるまま着席すると、書類を入れた封筒を渡され、「中身を見てください」と言われる。
③封筒を開けると、「解雇予告通知」および「解雇理由証明書」が入っている。呆然として内容を確認する(以下、要旨)。
<会社は、貴殿を2012年7月26日付で解雇します。貴殿は業績が低い状態が続いており、その間、会社は職掌や担当範囲の変更を試みたにもかかわらず業績の改善はなされず、会社は、もはやこの状態を放っておくことができないと判断しました>
④キツネに抓まれた思いで「なぜ解雇なのか?」を問うと、人事担当者は「まぁ、聞いてください」と文面を事務的に読み上げ、具体的な解雇理由の説明もないまま一方的に終了。
⑤会議室を出される際、「上司が付き添うので、(終業時刻の)5時36分までに会社を出てください」と通告され、呆然としたまま退社。
Aさんは「25年以上もの毎日、熱意を持って働き続け、家族設計も行っていた私には、とても受け入れられません」とコメントした。
もちろん、解雇された側からの一方的な話なので、ここまで来る前には、会社としての早期退職制度などの募集があったと思う。実際に、日本IBMは、米国から送り込まれた外国人社長のもと、現在約1万4千人の従業員だが、それを3年間で1万人にまで人員削減する計画をもっている。今回、大量の解雇通知をしていることから、解雇の真の理由はこの人員削減計画に沿った人減らしである可能性が強い。
日本IBMのようなサービス業であれば、売り上げが減らないのであれば人員削減による固定費圧縮が最も確実な業績向上の方法でる。企業部門の合併・買収・売却など行われれば非効率な部分や重複部門のリストラは仕方がないであろう。Aさんも営業支援部門というから業績に直接貢献したかどうか評価が難しい。30%近くの人員削減を行うのであれば、個々の能力などいちいち精査せずに、人員削減を行う。そうでなければ、4000人の解雇など容易にできるものではない。現実に、派遣社員市場は有無を言わさず期日が来れば契約を解除される。正社員だからと言って、終身雇用にしがみつく時代は終わったと認識すべきである。日本IBMの早期退職条件は、よく知らないが、会社更生法などの会社に比べ遥かに好条件だろう。会社のリストラは、数値で行うため個々の事情など勘案しない。米国ほど労働市場が流動化はしていないが、グローバル化の波が押し寄せてきている。雇用が重要なら公務員になるという選択肢しかない。ところで、解雇のない国家公務員の給与水準を大手企業と比較するのであれば、雇用の問題も含めて議論すべきだ。

|

« 黄昏期こそもっと積極的に活動すべきだ | トップページ | 我々は神の母胎の一部である »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2042190/56395099

この記事へのトラックバック一覧です: 終身雇用にしがみつく時代は終わった:

« 黄昏期こそもっと積極的に活動すべきだ | トップページ | 我々は神の母胎の一部である »