黄昏期こそもっと積極的に活動すべきだ
誕生日が近づいて、また歳を重ねることになると思うと嬉しくない。小さい頃は、誕生日というと、何かおいしいものが食べられるので楽しい気持ちだった。北陸の田舎で終戦からまもなく生まれた世代のため、物心がついたころは、テレビも洗濯機も冷蔵庫もない時代だった。ジュースなどは、ブリキの缶に水を入れて冷やし、スイカは、釣る瓶に入れて井戸で冷やした。当時、配給パンなどはなくなっていたが、美味しいものといっても限られていた。餅とか赤飯くらいだったような気がする。東京では、それほど見かけないが、北陸には餅専門店がたくさんあった。田舎では餅に昆布を入れて杵でついた餅を昆布餅と呼んでいた。今の子供たちには、つまらないと思われるだろうが、当時、その程度しかなかった時代だったので昆布餅が食べられるのが楽しみだった。小さい頃そうだったせいか、今でも昆布餅は大好物だ。人が、愉しいとか悲しいとか思うのは、その時の気持ちの変化の差だろう。金持ちにとって小金はつまらないものでも、貧乏人にとっては大切なお金だ。恋愛などの心の高揚も、個々に経験を重ねた分の感じ方は違うだろうが、若者と年寄りに差はないような気がする。分別や客観的な視点を持つ分、かえって相手を愛しむ気持など亀の甲より年の効かもしれない。ひとは、その時の心の微分値が生きがいなら、黄昏期こそもっと積極的に活動すべきだ。
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