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2012年10月25日 (木)

人付き合いとは

歳を重ねて研鑽を積んだからといっても、人間関係は別の話しだ。私のような似非クリスチャンでも必ずどこかの教会に属することになる。神父のおかげで負担が少ないカトリック教会でも、信者と交わると貧しい信仰が吹っ飛んでしまいそうなので係わり合いを持たないようにしている。煩わしいから人と付き合わないことも一つの生き方だと思う。しかし、肉親や恋人などという関係の場合は、付き合わない訳にはいかない。ごく近い肉親だと高を括って相手に配慮しないと、修復ができないほど大きな溝が出来てしまう。返ってそれほど親しくない人のほうが、お互い相手に配慮するため上手くいくような気がする。兄弟は他人の始まりというからしょうがないが、実母であっても、年老いてからできた心の溝は容易に修復できない。そうはいっても、冠婚葬祭などで顔を会わすため、細々と血縁で繋がる。それに引き換え、恋人などという類の場合は、「別離(イビヨル)」かテレサ・テンの歌のように「色に染まって貰う」かの選択肢しかない。長く生きたからといっても、人付き合いは、いつまでたっても難解なものだ。

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