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2012年11月30日 (金)

信仰を語りながら権力闘争とは

キリスト教を語る似非クリスチャン土肥隆一は、今度は不出馬だという。民主党が、横畑氏を公認候補として擁立したことに反発して、11月20日に「現在の無責任な政治状況を無視できない」と立候補の意向を表明したばかりだった。しかし、『民主が危うい』という思いが強くなったといって、(分裂選挙により自民が最も有利になる)一転、不出馬を決断したという。そして、「政治への情熱は持っている。引退はしない」と明言している。私は、日本基督教団の土肥牧師が、島根県・竹島の領有権問題をめぐり、韓国側の主張に沿って日本政府に領有権主張中止などを求める共同宣言文に署名し、その後の驕った発言にも驚かされた。彼の属する日本基督教団は、もともとキリスト教の統制団体として戦争協力の活動を行うために設立された。日本基督教団は国内と国外のクリスチャンに対して、日本のアジア侵略を正当化する言説を流布し、キリスト教と天皇制が一体化した日本的キリスト教を推賞した。私の所属していたバプテスト派のM教会の牧師も、戦時中に国から召集令状が来て、M教会を後任に託して兵士として従軍した。戦時中のキリスト教会が戦争に加担したことを、説教の中で批難する牧師もいたが、当時の状況下で命を投げ出してまで反対するほどの信仰はなかったのだろう。ユダヤ人の身代わりで死んでいったコルベ神父の信仰など、容易に身に付くものではない。傍観者的に、神への忠義を語ることは容易だが、自分の命と引き換えになった時は、神など忘れてしまう。特に、プロテスタントの牧師など自分の生活や子弟の教育で赴任地を決めたがる輩が多い。信者には、神への献金と叫びながら、自分の子供だけは金のかかる私立学校に入学させていた。この、似非クリスチャン土肥隆一という人も、信仰を語りながら権力闘争が好きな手合いだ。信仰が薄く神への恐れがないのだろう。政治活動をするのは個人の自由だが、一般人がキリスト教を誤解するため、日本基督教団の牧師を辞め、伝道所での説教など行わないで欲しいものだ。

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