他人は他人の価値観で生き抜いている
高齢の国会議員で死ぬまで参議院議長をしていた人がいた。こういう稀なケースを除いて、少なくとも、退職したあとの晩年に価値観の再発見があるだろう。多くの会社を渡り歩いた人は、サラリーマン在職中であっても、世の中の多様な価値観に遭遇するだろう。私も勤め人をしていてF社にいた頃は、どうしてもその会社内の偏狭な価値観で世の中を見ていた。次に某会社に移ったときに、良し悪しはともかく唖然とした。その後、勤め人を辞めて自由業という立場から距離をおくと、世の中が少し見えるようになった。ところで、OB会雑誌に、腕組みをした滑稽な人物の写真が載っていた。本人は、それなりにポーズを取っているつもりらしい。しかし、最後まで起業家精神も持たず、資本家の使用人として、苔むす甲板にしがみついているという発想はないようだ。束縛された精神の中に、何をモチベーションとして生きているのだろうかと問いたくなる。「肩書きが欲しいなら、自分で印刷すればいくらでも可能だ」といっても、「他人も評価してくれなければ意味がない」と反論するだろう。しかし、他人は他人の価値観で生き抜いているから、評価してくれていないことに気づいていない。他人である読者には、世間の見えない惚け老人が、幼稚な価値観から抜け出せずに悦に浸ってる写真としか見えない。
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