晩年を迎えた身には
人との付き合いは、職場だったり趣味の集まりだったり、共通の基盤で成り立っている。サラリーマンの場合は、トップに立つ人以外は容易に組織の価値観から抜け出すことはできない。全ての発想が会社組織という中のルールで縛られている。寂しいことだが、資本家でない勤め人にとって、会社という組織を離れて自立することは不可能だからだ。会社の付き合いは、利害関係で発生する場合が多いため、会社から離れてしまえば、自然と付き合いもなくなってしまう。故人を偲ぶ葬儀場辺りが、退職したり閑職になった人たちの最後の付き合いになることが多い。その時に初めて自分の価値観が矮小だったことに気づく。そして、取るに足らないものにストレスを感じたり驕ったりして、馬鹿馬鹿しい限りの価値観だったことを悟るのだろう。それに比べ黄昏期の交わりは、利害関係がなかったサークル時代の学友との談笑は非常に愉しい。当時の時空に帰って、何時間も飲んだり歌ったりしていても飽きることはない。晩年を迎えた身には残り少ない貴重な時間だからだろうか。
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