日本のキリスト教会の牧師と信者
日本に来たキリスト教宣教師は、ピューリタン系が多かったせいだろうか?日本でキリスト教会というと清貧なイメージがある。ピューリタンとは、清潔、潔白などを表すPurityに由来するらしい。私が結婚式を挙げたT県の教会、洗礼を受けた都会の神奈川のM教会、その後移った東京のH教会と教会生活は長いが、籍だけおいていた身分のため偉そうなことは言えない。しかし、これまで教会内でうんざりするくらい牧師と信者のいさかい話を観たり聞かされたりした。ほとんどの問題は、キリスト教とは無縁の人間関係が原因だ。いずれの教会も信者と方針が会わず、牧師が教会を去ることになった。田舎の教会はともかく、都会の教会に来たがる牧師は、自身の子弟の教育問題からで伝道は二の次だったのだろう。自身の子弟は私立学校に入れるため牧師謝儀を増やして欲しいといい、信者に献金を促すひともいた。個人的に話をしても、これが牧師かと呆れるような言動まであった。信者にしても、社会への不満から自身を癒すために「教会ごっこ」や「清貧ごっこ」が目的だったりした。そして、牧師が国会議員にまでなって、権力闘争する輩までいるのには笑ってしまう。
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