「汚れなき悪戯」を何十年ぶりかで
「汚れなき悪戯」を何十年ぶりかで観た。 1955年のスペイン映画だ。テレビで初めて観たのは、愚生が小学生の頃だったような気がする。覚えているシーンは、キリストの手が動いた場面と「マルセリーノの唄」だ。名ばかりのカトリック信者だが、映画の磔刑のキリスト像を見ると別な思いがある。愚生の属する教会では、悲惨な磔刑のキリスト像と両手を広げたキリスト像のどちらにするかで、神父と信徒の間で大いに揉めた。キリスト教は偶像崇拝を禁止している。プロテスタントから改宗した愚生から見れば、どうでもいいことに長い時間を費やしていた。町長になった鍛冶屋と同様で、キリスト像の議論というよりよりお互いの相互不信が原因だった。コリント人への第一の手紙11章3節「 しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」とある。この箇所は、どこの教会でも説教に全く使用されないため、キリスト教徒でも知らないひとが多い。また、ローマ人への手紙13章1節「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」とある。ローマ皇帝の権威を正当化するためにキリスト教は利用された。だから上意下達に反した行為は、神への冒涜だ。愚生の所属教会員も町長の鍛冶屋と同様に、神父に対する不敬はキリスト教をわかっていないからだ。そういうことを思いながら、この映画を観ていた。パンと葡萄酒のマルセリーノとは、「キリストの体と血を受け継いだ子」という意味だろう。映画の中でキリストは彼が良い子だから願いをかなえようといった。迷わずマルセリーノは今すぐに母に会いたいとお願いした。そして、マルセリーノは椅子の上で顔に微笑みを浮かべて死んでいく。今朝、米寿近い母親にご機嫌伺いで電話をした。余りにも勝手な言い分にひとこと返すと、昔は良い子だったが会社がお前を悪い人間にしたと叱責された。歳を重ねたからといっても、ひとは知恵がつくとはとても思えない。
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