私の見ている世界は私が造りだしたもの
昨晩、飯を食っていると天井に黒いものがあった。愚生の家は安普請だが、大手住宅会社が建てた。各ユニットをボンドで接着する工法が特長で、虫など育成する環境はない。たぶん、隣家の雨漏り対策とかの修繕で、愚生宅に来たようだ。かみさんに、●キ●●がいると言うと、殺虫剤スプレイ缶を持ってきた。晩飯は、好物のさしみだった。いくらなんでも、食事中に殺虫剤を撒かれては、食べているさしみにも着いてしまう。しょうがないので、掃除機で吸い取って紙パックごと捨てた。サイクロン式掃除機と違い、始末する●キ●●が見えないので気分がいい。ところで、愚生が入社した頃のF社の社員寮は、二人部室という酷いものだった。相棒は悪い奴ではなかったが、毎日が疲れた。それで、半年も住まないうちに、会社近くでアパートを借りた。当時の田園都市線は、渋谷行きではなく大井町行きだった。渋谷に遊びに行くには、自由が丘で東横線に乗り換えた。そして、東横線の最終電車の終点駅は、車両基地がある元住吉だった。そういうわけで、通勤と遊びを考慮して、墓地に隣接する安アパートに越した。学生時代の後輩が尋ねてきて、社会人になって、ずいぶんグレードが下がったと揶揄されたことを思い出す。なにぶん湿気が多かったので、電燈をつけると●キ●●が走り回った。あまりの多さに、殺虫剤など使わず、手鏡の裏で叩いて殺した。そのため、手鏡には潰した汁でべっとりとした脂が着いた。慣れとは恐ろしいもので、こち亀の両津勘吉のように、なんとも思わなかった。当時を思い出せば、愚生の社会人スタートは、●キ●●と共存だった。そう思うと、愚生は人生の成功者にも思える。ひとの不満や喜びなど、自分の思いだけのようだ。ジャンポールスキーの「A course in Miracles」に、「知覚(Perception)は内なる精神の鏡であって、事実ではない。私の見ている世界は私が造りだしたもの。」という箇所がある。正に言い当てているような気がする。
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