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2015年4月11日 (土)

「任那日本府」を否定するなら、歴史検証から

Rekisiminananihonfu 朝鮮語のハングル化で、漢字を排除してまった韓国に歴史検証が可能だろうか?韓国の李完九首相は、日本の教科書に「任那日本府」を記載するとはけしからんと非難するが、日本書紀だけでなく中国の史書にも大和朝廷の勢力下にあったと記述がある。さらに、中国にある「高句麗好太王碑」にも、日本人(倭)の朝鮮から満州への進出が刻まれている。朝鮮最古の歴史書【三国史記】には、白村江の戦いや倭国について、『新羅本記第七』は、倭国の兵船が百済を救援にきた。倭船は千艘もいて、白沙に停泊し、百済の精鋭騎馬隊が船団を守っていた。『百済本記第六』は、先に倭国に人質となっていた旧王子扶余豊を迎えて、彼を王とした。中国や日本の史書「旧唐書記」「新唐書紀」「列伝四金仁問伝」「日本書紀」にも同様な記述がある。熊津江から白江にゆき、陸軍と合流し共同して周留城にせまった。倭軍と白江口で遭遇し四度戦ってみな勝ち、倭軍の船4百艘焼いたが、その煙や炎は天をこがし海水は丹くなった。『列伝第五』は、昔于老や朴提上の項目には倭国や高句麗に新羅が人質を出していたことが書いてある。また、当時倭軍がよく新羅に攻めてきたことが記されている。『高麗の正史』にもあるように、百済は大和朝廷に皇太子を人質として差し出していた軍事弱小国だった。滅亡後は、百済の王族や貴族は、殆ど全員が唐に連行されるか、日本に亡命して貴族の末席に列せられたり地方官吏に任命されたりした。技術者も主だったものは彼らと共に日本に亡命した。 即ち、今の韓国人は、それ以外の百済の庶民階級や奴隷達の子孫である。韓国首相の歴史とは、彼らの願望に過ぎないようだ。韓国の教科書に何を書こうが自由だが、半島人の願望を日本の歴史教科書に記述しろとは馬鹿も休み休み言えといいたい。

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