日本のコンピューター黎明期
フランク永井の「夜霧の第二国道」をYOUTUBEで聞くことが多い。昭和32年(1957)作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正の作品だ。そして、フランク永井と言えば、低音の魅力。愚生が幼少のころの曲だから、お袋の鼻歌からでも覚えた歌だろう。
つらい恋なら ネオンの海へ
捨ててきたのに忘れてきたに
バック・ミラーにあの娘の顔が
浮かぶ夜霧のああ第二国道
この曲に歌われる第二国道とは、品川から川崎、鶴見を通って神奈川区までの、現在の国道一号線のことらしい。愚生は、てっきり国道二号線のことかと思い違いをしていた。その国道二号線は、大阪市北区から北九州市門司区へ至る。愚生が勤務したF社の生産工場は明石市の大久保駅近くにあった。思い出せば日帰りも含めて、数えきれないくらい明石工場に行った。若い頃は、明石工場への出張が多く、子供の成長を見守ることもなかった。妻からは、明石原人と皮肉って呼ばれた。F社に勤務する前は、「夜霧の第二国道」の歌詞から、神戸や横浜の中華街をイメージした、ロマンチックな感じを持っていた。その国道二号線は、二国という愛称で呼ばれ、F社明石工場の真ん前を通っていた。開発機器デバックのため、深夜まで仕事をすることが多く、夜の9時ごろに二国を渡って晩飯を「天龍」に食べに行くことが常だった。工程が遅れに遅れたイライラからか、部下を叱責しながら、晩飯を取っていて、店主に注意されたこともあった。今から思い出せば、信じられないような異常な生活だ。日本のコンピューター黎明期は、巨像IBMに蟻が竹やりで挑む戦いだった。この世界は「IBMと7人の小人たち」と呼ばれていた。IBMが世界シェア73%(1968年)を独占し、その他をユニバック・バローズ・NCR・CDC・ハネウェル・RCA・GEの7社で分けていた。今も残っている会社といえば、ユニバックとバローズが合併したユニシスだけだ。愚生の勤務した会社など、小人以下の蟻よりも劣ったかもしれない。一時はどうなるかと思ったIBM産業スパイ事件なども乗り越え、今はF社企業年金基金から、隔月に年金が振り込まれる。感謝の限りだ。この曲を聞くと、なぜか晩飯を食べた「天龍」店主の顔を思い出す。
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