学生時代、時空を伴にした人との交わり
週末に、学生時代のクラブのOB会がある。別段、愚生が幹事をする必要はない。一時期メンバーの中で、やりたいという友人に任せた。彼は学生時代から「忙しい」が口癖で、他人の世話をやくことはなかった。「三つ子の魂百まで」というが、歳を重ねても変わらないようで、忙しいという理由でいっこうに開催しない。それで、周りから頼まれる形で引き受けた。卒業から40年近く経って、改めてやり取りをすると、若い学生時代とは一味違う。受け答えや対応に、それぞれの生きざまが混じる。そして、愚生自身も自分の過ごした世界の価値観で、友人を見てしまう。競争社会の民間企業であれば、本音と建て前を使い分け、目的を達成させることに注力する。自由主義経済の中では、評価は結果がすべてだ。いくら努力をしても、結果が伴って初めて評価云々になる。会社が潰れてしまえば、その過程における努力など意味を持たない。田舎の公務員・準公務員(農協職員)で人生を送り、のんびりとした人間関係で競争もなく顧客対応などに縁がなかった人たちは、一般的なエチケットを持たない。なくても生きていける社会だったのだろう。羨ましい限りだ。愚生から見れば、失礼な奴だと思うが、本人は意にかけていないようだ。注意を凝らせば、その人の社会での立ち位置や自己との妥協した価値観まで薄っすらと見えてくる。OB会では、どうしても当時のメンバーの話題が多くなる。将来を考えずに、奔放に生きてきた人。志を持って、キャリアを作り直そうとした人。失敗した結婚だといいながら、伴侶と一生を過ごす人。再雇用で、改めて社会の厳しさを知った人。若い学生時代に、時空を伴に過ごした人との交わりは愉しい。参加できない人を思うと、今を生きることで、肩の力が抜けないのかと思い心配になる。
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