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2016年1月 3日 (日)

利害関係がない時空で過ごした友

Ess461 昨日、学生時代の学友から、突然携帯に電話が入った。正月早々、訃報でなければと思った。電話口の喋りから、酔っているようなので安心した。関東地方のT市に集まり、新年会だとの話だった。音信がない友人もいたので、安心させられた。還暦を迎えると、いくら会社にしがみつこうとも、社会の常として強制的に退去や遠ざけられる。そして、会社付き合いが、極々一部を除けば、利害関係で成り立っていることに気付く。愚生も義理を通して昇進させた元部下から、年賀状が途絶えたときに、そのことを知らされた。そういう愚生も、勤め人時代に退職後の挨拶を兼ねた年賀状に、返答したことはない。なぜなら、これ以上付き合いは無用だと思ったからだ。やはり、持つべきものは友だと言っても、還暦を過ぎて楽しく付き合うとなれば、利害関係がない時空で過ごした友だろう。退職後にOB会が活況となることは納得できる。OB会事務局をやっていて、諸事情で出席できないとの知らせを受け取ると、なにか深い悩みでもあるのかと穿って見たくなる。OB会の招集状に、いつも親鸞の「明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」という詩を添えるが、今が忙しい人に通じないようだ。死ぬ準備もせずに、いつまでも生きることしか考えていないようだ。死ぬ間際に気付いても、その時には時間も気力もないのに・・・。ところで、出没するゾンビ政治家をみると、老害という害を知らないのかと呆れる。

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