回想を巡らすことしかできない
若い頃には、生きることしか考えなかった。大学時代は、将来の不安から憂鬱な日々もあったが、若い息吹が湧き出していた。そして、酒を飲みながら、青臭い考えを熱く語ったりもした。もうあの日々には、回想を巡らすことしかできない。歳を重ねることは、できないことを納得して、捨て去ることだ。例えば、愚生の小さい頃のあだ名は、チーターだった。しかし、心臓に持病を持つ愚生には、走ることは出来ない。そして、気後れして若い女性が集まるような場所にも興味はない。当時、愚生が通ったキャバレーやクラブの艶っぽい女性たちも、今はお婆さんになっている。その年老いた顔を見たいとは思わないが、今頃どうしているのかと懐かしくも感じる。恥ずかしい記憶ばかりだったかもしれないが、人生の一部だ。最近、頻繁に行く場所と言えば、病院ばかりだ。そして、入院や検査、介護などの暗い話が多い。愚生のスケジュールも、連休明けから日曜日を除けば、自分の通院や付き添いの病院通いだ。今日は、午前も午後も入院がらみで病院に用がある。
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