棺桶に足を片方突っ込んだ年齢の人ばかり
歳を重ねると、自分ばかりではなく、これまで関係があった友人・知人・親族までも老人ばかりになってしまう。そして、30~40代の頃に通った若い女性がいる店など気後れして行けない。そういえば、愚生が若い頃に行ったフィリピン女性が働くような店にお年寄りが居ると、なにか寂しいものを感じた。たぶん、妻が無くなり、話し相手欲しさにそういう店に来るのだろう。歳をとってからの男やもめとは、寂しいものだと同情した。そういうお店でのきっかけだろうか、愚生の住む町内にも40歳くらい離れた後妻のフィリピン女性がいる。羨ましい気もするが、愚生には小さな子供を育てる責任感の方が遥かに辛く、とてもその気にはなれない。歳をとっていることは、世の中から期待されない分、責任感も少なく気楽だ。しかし、そう考えて自分自身を納得させのは、羨ましくて悔しいのかもしれない。愚生の友人・知人・親族と言えば、どれをとっても棺桶に足を片方突っ込んだ年齢の人ばかりだ。幸せなのかもしれないが、素直に喜べないのは、まだまだ修行が足りないのだろう。
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