信じるものは救われるのだろうか?
昨日は薄商いの中、日経平均が1万7千円を越えてきた。ポートフォリオを考えた長期投資というか、資産保全に切り替えたため株の売買を停止した。そうした途端に、株価の変動がそれほど気にならなくなった。多少の含み益があることも一因かもしれない。気持ちが揺れなければ、長期保持では利益が入ると確信している。大きく狙わず、ほどほどに儲かればいいと思う。残りが数えられるようになった年月を大切にしようと思う。朱熹の有名な詩に「少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。いまだ覚めず池塘春草の夢。階前の梧葉すでに秋風」というのがある。小さい頃から諳んじていたが、有言不実行で、時間は無限にあるものと思い軽んじてきた。晩年になるまで、生きることしか考えなかったということだろう。言い換えれば、死ぬ準備ができていない。愚生の母も、自分は人生を悟ったと諭していたが、肺炎を患った時に大暴れして病院を煩わした。歳をいくら重ねても、いざ死に直面すると素直に受け入れることはできないようだ。友人の母も、自分はいつ死んでもいいと思うが、今は少し早いと言う。たぶん、死ぬまで同じ言葉を繰り返すだろうという。そう考えると、還暦過ぎたとはいえ愚生など、まだまだ若輩者だ。そして、死の直前まで生きることしか考えていない気もする。一つ誇れるとすれば、似非クリスチャンだが、保険として洗礼を受けていることだ。ヨハネの福音書3章に、「それは彼を信じるものが、すべて永遠の命を得るためである。神はそのひとり子をお与えになるほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。神が御子を世に使わされたのは、世を裁くためではなく、御子によってこの世が救われるためである。彼を信じるものは裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。」という箇所がある。信じるものは救われるのだろうか?
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