共通基盤はいつも世界の文化が混濁する米国
愚生が就職した頃は、コンピュータの黎明期だった。富士通+日立、NEC+東芝、沖+三菱電機という通産省指導の3グループ化で開発に取り組んでいた。当時は、コンピュータの普及も進んでいなかったためハード主体の考え方だった。この中で富士通の池田専務が主動する富士通+日立連合は、IBMプラグコンパチブル路線に舵を切った。IBMを切り崩さなければ、将来はないと言う考えからだ。諸刃の剣で、IBMに攻め込まれれば自分たちは崩壊の憂き目を見る。富士通+日立は伸るか反るかの戦いだった。当時は、富士通とIBMの売上高は60倍も違っていたから、巨像に蟻が戦いを挑むようなものだった。富士通と日立の共同開発で作ったインターフェイス仕様書は、F-Hインターフェイスと呼ばれた。しかし、内容はIBMチャネルインターフェイスの和訳版だった。中国企業や韓国企業の著作権を云々いうが、当時の日本企業もデッドコピーに近い形の物まねだった。違うとすれば、ソフトの内部処理はアルファベット文字だったが、表示や出力には日本文化の漢字カナ変換が必須だった。日本語処理という付加価値を付けなければ、受け入れられなかった。ところで、この戦略が正しかったことは、その後の足跡が証明している。富士通・日立以外の各社は、IBMのアプリケーションが普及するにしたがって、大型コンピュータから撤退していった。コンピュータソフトウェアとは、一つの言語文化だ。その基盤上で、踊れない俳優(アプリケーション)に活躍する場所はない。パソコンのWindows(マイクロソフト)、スマホのAndroid(グーグル)も同様の世界だ。こう考えれば、コンピュータの競争とは、基盤を抑えたも者の一人勝ちだ。そして、共通基盤はいつも世界の文化が混濁する米国社会から醸成される。極東の島国から世界的なコンピュータ企業が育たないのも当然だ。スマホでは、ハード・ソフト一体型のアップルだけは、ひとり気を吐いている。これが続くのは、セキュリティという差別化が功を奏しているからだろう。
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