最後に笑う者が最もよく笑う
人は、そのときどきで考え方が変わる。当たり前のようだが、自分の人生を振り返れば、言い当てている。価値観というか、その場の環境といったほうが良いのかもしれない。学生時代は、漠然とした将来への不安があった。愚生も受験勉強というものを一応してきた。大学からは、親元を離れて地縁も血縁もなかった。頼ることもできなかったが、干渉がないことで、自己責任で自由奔放に過ごした。ただ、田舎に戻ることは、全く考えていなかったため、親を当てにせず自立していたような気がする。将来への不安からか、学生の本分は勉強だと思い学業に手を抜いたことはなかった。鶏口牛後とは、よくいったものだ。受験で体力を消耗した多くの不真面目な学生がいたため、学業は苦痛ではなくそこそこの成績だった。大学時代は、就職試験のことがいつも頭から離れなかった。卒業して、その土地を離れる時に、就職に失敗した友人の寂しそうな顔が目に浮かぶ。本分を忘れた結果だと思った。就職した会社は泣く子も黙るF社と悪評がたっていた。給料は悪くなかったが、厳しい競争の中で将来への不安は消えなかった。無我夢中で働いて、管理職試験に合格して初めて多少の安堵を覚えた。入社した時には、課長職までいけるとは思わなかったためだ。その後は、運も手伝って日当たりのよい時が多かった。今から振り返って、勤め人時代は最高だったとは思わない。しかし、愚生の力量からすれば、十分満足する結果だった。この比較はよくないが、入社時には期待されながら、結果の伴わなかった同期の姿を見るせいかもしれない。諺にも、最後に笑う者が最もよく笑うとある。大学受験や入社試験、管理職試験、事業投資への決断と後になればなるほど重要になる。そして最後は、自分の美学を人生で通せるかだ。一番最後で、辛い思いをすれば、すべてが水の泡だ。欲得で会社にしがみついて、哀れな晩年を経験した人も見てきた。勤め人時代は、好き勝手に暴れまくった割には、楽しい思い出が多い。余生はまだあるが、これからは高い目標がない分、深い失望もない。
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