人の価値観など、普遍的ではない
愚生は、テレビでスポーツ観戦をしても、最後まで目を離さずにいることは少ない。そういういい加減な性格だが、昨日の富山第一vs中越(新潟)戦は、最初から最後まで見た。投手戦なのか貧打線なのか、判断しようがない試合だが、とにかく点数が入らなかった。愚生は、郷里の富山代表を応援していたため、ノーヒットノーランの負けでは選手が可哀想だと思いながら観戦した。中越の今村投手は、1メートル65という小柄な左腕だったが、富山第一を内野ゴロで打ち取り、よく抑えていた。富山第一を相手に九回一死まで無安打に抑えたが、最後に連打を浴びて0-1でサヨナラ負けをした。試合後に今村投手が泣きじゃくる姿を見て、対戦相手校だが気の毒だった。勝負の世界だから、どちらかが負けるのは常だ。今村投手が、いくら一人で頑張っていても、打線の沈黙と拙攻では勝てない。富山第一にも同様にいえることだったが、地区予選と違い好投手との対戦では貧打だという印象だ。愚生は、小さい頃に地区の少年野球に参加していた。そのせいか、高校野球の県代表校をいつも熱心に応援した。子供のころなど、ラジオ放送を聞きながら、一球一球に力を込めて応援した。悲しいかな愚生の田舎は、雪国で進学熱が盛んな地域だった。そのせいか、運動選手を低く見る傾向があり、あまりスポーツは盛んではなかった。愚生も地域の少年野球大会出場のため、練習で遅く帰ることが多かった。しかし、戦前教育のお袋は、愚生が家を継がない次男ということもあって小言はいわなかった。ただ、そんなに遊んでばかりいると、将来はろくな者にはならないと言われた。愚生もそう思っていたため、小さい頃はほんとうに自由きままに生きていた。今では価値観も変わり、高給をとるプロスポーツ選手は、青白きインテリーより、リスペクトされる時代になった。高等教育が進み過ぎたせいで、学位に価値がなくなったことも一因だろう。人の価値観など、普遍的ではないとつくづく考えさせられる。ならば、自分の価値観を子供に押し付けるなど、以ての外だ。
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