障害者のリハビリテーションは非障害者のリハビリテーション
銀座線青山一丁目駅で、視覚障害者がホームから転落し、電車にはねられ死亡した。視覚障害者は盲導犬に先導され、ホーム上の柱をよけるように線路側に近づき、ホームから足を踏み外した。同駅のホームの幅は約3メートルあるが、複数立つ柱からホームの端までは約1.2メートルしかない。事故直前に、駅係員は白線の内側に下がるようマイクで注意したが、視覚障害者はホームから足を踏み外して線路に転落したという。愚生も銀座線を使うこともあるが、古い路線のせいもあってホームの幅は狭い。視覚健常者であっても、ホームからの転落不安はある。今回の事件で、盲導犬を責めるわけにはいかない。キリスト教の聖書には、無数の障害者が登場する。その聖書に登場する中には視力障害者もいる。当時は、昔の日本同様に障害は「たたり」や「罪の結果」だと信じられていた。そのため、イエスに批判的なパリサイ人は、視覚障害者を癒して開眼させたこと否定的だった。パリサイ人らはイエスに「私たちも盲目なのですか」と尋ねた。「もし盲目であったなら、罪はない。しかし目が見えると言い張るところに、罪があるのだ」とイエスは答えた。この箇所は、イエスが救い主だということを拒否した罪を指摘したものだ。この視点から「障害者のリハビリテーションは非障害者のリハビリテーションだ」という神学者もいる。今までは障害のある人が問題だと考えている。それが、そういう人たちを迎え入れようとしなかった社会にも大きな問題があることを気づかせる。ノーマライゼーションであり、バリアフリーの潮流はこの考えに沿っている。「目の見えなかった者が見えるようになり、見えると自称する者が見えなくなる」というイエスは、この逆転の中に神の救いと裁きを見ている。今回の事故は、視覚障害のない者が事故を予見できなかったことが問題だ。駅係員は白線の内側に下がるように、白線が見えない視覚障害者にマイクで注意するだけでよかったのか。そもそも、事故が起きそうなホームの改修を進めないで運用することも問題だ。それができないなら、駅係員が構内で視覚者を誘導していればこのような事故は起きなかった。東京メトロ経営者も行政指導する政府も、よく目が見えていない。
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