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2016年8月 9日 (火)

毎日を惰性的に生きているだけ

A0267814_14295285 リオデジャネイロ五輪大会で、体操男子団体総合で金メダルを獲得した。今朝は、NHKでライブ放送されていた。ナショナリストの愚生は、ロシアと中国の選手には悪いが、心の中でミスをしろと念じながら観戦した。優勝が決まった瞬間、爽快な気分になった。別段、愚生は何の努力をしたわけではないが、誇らしい気持ちになった。選手たちには、ご苦労さんと言いたい。昨日はイチローの3000本安打、オリンピック、高校野球と今週は話題に事欠かない。旧盆の前週といっても、愚生のような老人には毎日が休日だ。これといった急用はない。田舎からのお上りさんだったため、若い頃から金銭的な余裕はなかった。住宅ローンの支払いと子供の学費の工面で、一心不乱に働くことだけしか選択肢はなかった。退職後は、多少の貯えもあり余暇も十二分にある。しかし、毎日を惰性的に生きているだけだ。老後とは、こういうものなのだろうか?愚生のお袋などは、長生きをし過ぎたせいで早く死ねばよかったなどと口にする。それならば、自分で死んだらというと、真意が愚生に伝わらなかったと嘆く。長生きをすれば、周りの人達が死んでいき寂しくなる。もっと生きたいのに、早く死んだ人はたくさんいる。贅沢なことを言ったら、罰があたるというと、それもそうだと母は納得する。お袋には、偉そうに講釈するが、愚生とて毎日を感謝の気持ちで過ごしているわけではない。ただ、自分の感情を崩さないようにするため、共感ができる最小限の人としか交わらないようにしている。

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