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2016年9月19日 (月)

人生の長さは積算値ではなく微分値のようだ

Map_a 今日は、19日だ。旅行から帰て、二日目。昨日は、車で二日分の食料品の仕入れをしただけだ。わずか四日間の旅行だったが、ひと月くらい行ったように感じられた。人の感覚とは、面白いもので変化がある時は時間を長く感じるようだ。そういえば、義務教育だった小中学校、受験しか考えなかった高校時代に比べ、大学時代は非常に長く感じる。愚生が遊学していたことも原因かとも考えていたが、自宅通学の学友も同様だという。どうも、自分に与えられた自由な時間が影響するのかもしれない。勤め人を辞めると、自分で自由になる時間が一気に増える。しかし、大学時代のような長さは感じない。どうも、自分が体感する時間の長さは、積算値ではなく微分値のようだ。そう考えると、長く生きることは、変化に富んだ人生を送ることだ。つまり、一番やってはいけないことは病気入院であり、てっとり早く時間を引き延ばすには、興味のある地方へ旅行をすることだ。介護施設で、長々と生きながらえても、当事者たちが人生を長く生きたとは感じない。自分が動けなくなれば、自身で変化を求めて風を起こすこともできない。健康で足腰がしっかりしていなければ、長生してもその実感はないのだろう。それなら、初老の自分の事はさておいても、介護施設にいるお袋に今週会いに行こう。そして、義母には今回の旅行写真集を早く送ってやろう。「子思う心にまさる子心」と小さい頃に憎まれ口を叩いたことが懐かしい。

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