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2016年9月27日 (火)

約束事をする意思がなければ念書など御法度

02_01 最近、念書をほしいと親類から言われた。そもそも念書には、どのような意味があるのか調べてみた。愚生はビジネス的な念書を、ずいぶん前に○コーの営業に書いたことがある。自分の賞与査定を上げるために、どのくらい発注するかを書いてほしいという主旨だった。三文判でよいというから、気楽に書いてやった。好意で書いてやったつもりだったが、後に違った目的で愚生の立場も考えずに使用された。後足で砂をかけられた気分になり、自分の人の好さを悔いた。念書とは、後日ある事柄について約束をしたという証拠目的で参照される。利害関係に直接関係する重要なものだから、おいそれとは渡せない。まして、使用目的もわからない念書など決して書くべきではない。念書とは、弱い立場の者が、相手方に保証書として差し出すものだ。たとえば、お金をもらったことを証明したいなら、貰う時点で引き換えに渡すべきものだ。要するに、念書は「約束事」を文書化したものだから、念書を交わすタイミングは契約の前でなければならない。後から書くなど御法度だ。約束事をする意思がなければ、念書など書くべきではない。ところで、親類が念書などと言い出すのなら、やはり弁護士など通すべきだろう。ただ、親類に約束などする立場ではない愚生にとって、そのようなものは書く意志はない。いずれにせよ、過去の事象に関して今更義務を負うような書面は作成するメリットなどない。

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