個人の意識は、多年生の地下茎から成長
愚生は、輪廻転生などは信じない。しかし、因果応報はあると思う。カール・G・ユングの著書の中に「心は昨日や今日できたものではない。その年齢は何百万年を数える。しかし、個人の意識は、多年生の地下茎から成長し、季節にあった花と果実をつける枝にすぎない。もし人が地下茎の存在を考慮に入れるなら、これは心理とよりよく合うだろう。というのは、もつれ合った根は万物の母だからである。」つまり、人の心は地下茎のように大本で繋がっている。それぞれ個々に分かれている意識のようでも、長い時間かけて醸成されてきた根幹は同じだ。個々の意識が、地上の花や果実をつける枝と同じであれば、実のならない枝は役に立たない。人に例えれば、自己本位で他人に悪影響ばかりを及ぼす人は、その報いを必ず受ける。聖書には、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、 父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。・・・わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。・・・」ヨハネによる福音書15章1~5節
聖書の場合は、因果応報という考えではない。しかし、神(意識)と言う根幹から離れては、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あまり人の道に外れた生き方をするものではないという、論理性も具体性もない愚生の思いだ。カール・G・ユングは、「重要なことは無限なるものだとわかりさえすれば、我々は無益なことに興味を向けなくなる」とも言っている。確かに、意識が何百万年を数ええて成長しているなら、短期的で狭量な行動は意味がないだろう。しかし、この考え方で自分の人生を評価すれば、あまりにも意味のないことに時間をかけてきたことを悔いる。
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