同窓会、出たい時には会はなし
来週から10月になる。米国企業では4/4期の年度末だ。早いもので、今年の一年も大詰めとなってきた。愚生の誕生日は12月の終わりに迎えるため、同年生まれの人より満年齢で得をした気分だ。そろそろ、事務局をする忘年会の開催通知を出す時期になった。OB会といっても、大学時代のサ-クルのため老人の同期会という感じだ。いつまで続けられるかわからない。招集をかけても、不参加な学友には「同窓会、出たい時には会はなし」と言ってやりたい。定期的に会が開かれていると、開催者の苦労も知らないで何時でも出席できると思いがちだ。しかし、骨を折って開催している学友が病気にでもなれば、同窓会はおしまいになる。お客さんで同窓会の会員になっていた人が、その雑用をかって出るとは思えない。愚生も、春の春季会や研究室の集まり時には妻が入院中だった。妻に冷たいかもしれないが、それとこれとは別だと考えて、滞りなく会を開催した。ただし、愚生が入院すれば、いくらなんでも開催は無理だ。あと何回開催できるか知れないが、参加者があるということは必要な会なのだろう。その思いを胸に、今回も開催しようと思う。老人の行く末は棺桶のみだ。人生の最後に残された時間は、有意義に使いたい。
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