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2016年10月10日 (月)

1970年にIBMがフロッピーディスクを開発

Thumb_500_01_px500 昨日から、NAS【 Network Attached Storageネットワークアタッチトストレージ 】の障害を調べている。愚生の持っているNASなど、個人ユースの安価な製品だ。LAN経由でアクセスできる外部記憶装置(ストレージ)のため、バックアップサーバーとして使用していた。少なくとも、6年くらい以前に買った代物だ。10年くらい前は、EMCとNetappがSAN【ストレージエリアネットワーク】とNASというネットワークストレージで競っていた。Netappは、今は世界のNAS市場におけるブランドとして認知されて大きく伸びた。一方、EMCは一連の買収や協業によって成長し、世界最大のストレージ企業となった。愚生が市場調査をしていたころから、両社とも大きく躍進した。やはり、データ量の増大がストレージ企業を大きく押し上げたのだろう。思いだせば、すいぶん昔、電電公社のデ本向けにチャネル接続の5インチと3.5インチ(1Mバイト)のフロッピーディスク読み取り装置を開発して納めた。フロッピーディスクは、1970年にIBMによって370モデルのIPLローダーとして8インチのフロッピーディスク(128Kバイト)が開発された。F社もメインフレームに内蔵させ、外部記憶装置として開発した。その後、1970年代後半に愚生が開発に参加したOCR(Optical character recognition:光学文字認識)装置の入出力媒体として使われた。これが愚生にとって、フロッピーディスクと初めての関りだった。当時、F社の開発は乱暴なものだった。愚生の担当はフロッピーディスク、電源設計、それと制御用アナログ回路一式とパルスモータ制御だった。愚生の経験は、DCサーボ制御と駆動用のドライバーと少々のアセンブラプログラムしかなかった。全く経験のない者に、すぐに開発しろとの命だった。大學時代に真空管やトランジスタを習ってもよく理解できなかったが、F社に入社してすぐに理解ができた。理解できないということは、技術者として生き残れないからだ。企業と学校の厳しさの違いが身に染みた。難題だったが七転八倒して、OCR開発は終えた。その後も、次々と厳しい開発スケジュール表をこなしていった。そのせいか、多少のことでは物事に動じない不遜な性格になってしまった。三つ子の魂百までともいうが、愚生の場合は後天的に作られた性格の比重が高い。そのせいだろうか、お袋に小さい頃は優しい子だったのに、どうして化け物みたいになったのかと謗られたことを思い出す。ところで、○ッファロー製品のNASは、仕様書どおりファームの入れ替えやイニシャライズをしても赤いインジケータが消えない。仮に、回復しても信頼が置けないと思い廃棄することにした。しかし、データの消去も疑ってみなければならないと思い、NASを分解してハードディスクの駆動部分を壊した。平生寄りつかない猫も、よほど暇と見えて壊すのを傍で眺めていた。

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