母への感謝の気持ちが湧いてくる。
最近、耳が遠くなったせいで、母とは顔を会わせて話さないと意思疎通ができない。電話では、母からの一方通行の会話になってしまう。母は、私の声を聞くのが大変なのだろうか、いつも話し続けて、こちらの話を聞くことはない。そのため、母への私からの連絡は、週2回くらい葉書を出すことにしている。毎回、改まって書くことなどないため、古い写真などをスキャナーで読み取って葉書に焼き付けている。そして、その絵葉書から当時を偲び、話題を作って紙面を文字で埋めている。今日の写真など、親父が還暦の時なので愚生よりも若い。義母など、今の年老いた愚生から見れば、十分に魅力的な女性に見えてしまう。当時は、おばさんだと思っていた初老の婦人だが、不思議なものだ。やはり、どうしても自分基準の物差しで、人を量っているようだ。そう思うと、つくづく自分の老いを痛感させられる。大學時代の友人など、今どうしているかと思いをはせると、青臭い気分に浸ってしまう。現実から離れて、空想の世界に入ってしまえば、今の歳などに制約されず当時を偲んでしまう。楽しかったこと、嬉しかったこと、不安だったことと、いろいろ思い出すが、大学時代は総じて良い思いが多い。実家を出て、一人暮らしになった頃は、自分にとって人生の門出だったようだ。これも、両親が学資を仕送りしてくれたお陰だ。改めて、母への感謝の気持ちが湧いてくる。今から、長野の介護施設にいる母へ会いに行く。一日千秋の思いで待っているかもしれない。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ここのところ気分がよい(2023.03.21)
- 実物資産が安心だ(2023.03.19)
- 蓮舫を追放すべきだ。(2023.03.18)
- 「世の中間違っとるね」(2023.03.17)
- 次は金融大手クレディ・スイス(CS)の破綻(2023.03.16)
コメント