弟子が弟子なら師匠はそれに輪をかけた

皆さん新年あけましておめでとうございます。昨年も健康であった点で良い年でした。
・・・と続き
渡辺明竜王もフルセットの末、竜王位を防衛できて良かったです。次は棋王の防衛戦ですが、こちらは次に防衛できると5連覇で永世棋王の資格が得られるのでぜひともまたがんばってほしいです。
・・・・
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
・・・で終わる。
挨拶には、三浦九段の冤罪について一ことも言及していない。弟子が将棋界の歴史を揺るがすような、犯罪まがい(今後、刑事告発で犯罪の可能性)の事件を起こした師匠の年初のあいさつとは思えない。愚生は、谷川浩司会長の非常識な鈍感さには辟易している。しかし、渡辺明の師匠所司七段ときたら、事件に一ことも言及せずに「昨年も健康であった点で良い年でした 」といい放っている。弟子が弟子なら師匠はそれに輪をかけた非常識な人材だ。将棋で有名な坂田三吉と言えば、生涯で「三、吉、馬」という漢字しか書けなかったと言われる。将棋指しの非常識は、大目にみるべきなのだろうか。マスメディアで取り上げられて時の人となると、いつの間にか先生と呼ばれる。NHKの将棋講座でも、女流棋士が渡辺先生と呼んでいた。小学生くらいの分別もない渡辺明に、先生という尊称をつけてもてはやすから、本人が増長して非常識極まりない馬脚を現す。立場や将棋が強ければ何を言っても良い。例え間違っていても謝罪はしないという態度で良いのだろうか。そして、勝つためなら相手を誹謗中傷して蹴落とすなど、尊称以前に人としての資質の問題だ。小さい頃から、将棋の駒以外触れることもなかったと庇っても弁明にはならない。所司七段の挨拶を見て、将棋界というか、将棋指し全体が倫理観の欠如が甚だしい、ならず者集団のような形相に思えてきた。他人の苦しみに共感もしないというような組織団体は、公益社団法人などという名称を担ってはならない。公益法人は、積極的に不特定多数の者の利益の実現を目的とするものでなければならずとある。自らの失態に対して、自浄能力もない日本将棋連盟に資格を与えることは不適当だ。
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