人の口には戸が立てられない
「人の口には戸が立てられない」という諺がある。世間のうわさ話は、防ぎようがないという例えだが、愚生はもっと広義に解釈する。家の戸を閉めるように、人の口の戸を閉めることはできない。つまり、自分の真意と違った噂が世間に広がって行っても、それをくい止める手段はない。将棋プロの三浦九段の冤罪も同様だ。噂が蔓延してしまうと、何の検証もされずに事実と異なった既成概念が広がってしまう。いくら抗弁しても無駄だ。勤め人や教会活動、自治会の中で、他の人と付き合うことは避けられない。その状況下で、愚生は嫌というほどそのことを痛感した。会社勤務などでは、善し悪しよりも利害関係の対立が大きい。自分の浅ましい利益のためなら、他人のことなど蹴落としてでも優位に立とうという人は多い。陰で非難をしながら、面と向かっては何もなかったような顔をする。これは幹事さん言葉だが、上役・下役・ご同役、すべてに通じたことだ。特に、会ったこともない人いから、不快な感じを受けた場合は、愚生と関係のある取り巻きから、批判を吹き込まれていると感じた。いずれにせよ、陰口を叩いていれば、よほど腹黒くなければ、いつかそれは相手に知れる。だから、猜疑心が強く、本当に腹黒い連中は、軽々に人を非難しない。非常に気まずいのは、先々愚生が偉くならないと踏んで、過去に散々非難した連中だ。こちらも、相手を表向きは斟酌してやる。しかし、昇進や昇給、転勤などでは、しっかりと借りを返した。それが二十年前だろうが、もっと以前であっても関係はない。もちろん、業務上の利益に反しない場合に限るが。教会や自治会関係は、近所付き合いということもあるから、あからさまには反応しない。ただ、相手を邪魔しないことが、最大の協力と思って、何も手伝わないで距離を置いた。相手の批判に言葉で返すと、どうしても感情の高ぶりで言いすぎて後悔することが多い。書面すれば、読み直している間に怒りが静まるため、不用意な行き過ぎた批判は防げる。愚生は、ヤクザな会社を渡り歩いてきたためか、他人の批判など慣れっこになってしまった。そうなると、批判している人達への反発より、哀れむ気持ちの方が強くなる。
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