残業時間の縛りよりは、働きやすい環境
政府の「働き方改革」の柱である残業規制は、繁忙期の上限について特例的な上限として、月100時間を基準値とし、違反に罰則を科すことになった。愚生の勤め人時代は、残業は通常業務のように行われていた。40年位前のコンピューター業界は、巨像IBMに蟻が挑むようなものだった。蟻に例えられた国産企業にとって、競争に負けることは業界からの脱落を意味する。東芝、沖、三菱電機、NECとIBMコンパチブル路線を選択しなかった企業は、大型コンピューターから撤退していった。残ったのは、富士通-日立製作所の連合だけだった。コンピューターは、アプリケーションソフトが重要だ。それが分からずに、顧客サイドからの視線を見誤った企業は市場から撤退させられた。他にも、松下電器(パナソニック)など多くの企業が退場した。当時は、残業100時間など常だった。労働基準法は労働時間について、1日8時間、1週40時間だ。しかし、第36条に「労使協定をし、行政官庁に届け出た場合においては、その協定に定めるところによって労働時間を延長し、又は休日に労働させることできる。」とあった。これが、俗にいう三六協定だ。愚生の時代も、残業は三ヶ月連続で100時間までと定められていた。正直に言って、この長い時間を、緊張状態を保ったまま企画・開発業務をすれば体はおかしくなる。F社の場合は、残業100時間といっても、それを指すのは拘束時間だった。要するに、事業所の入門時にタイムカードを打刻し、出門時に打刻した間の時間を指す。勤務時間中に、コーヒーや煙草、はては世間話や上司の悪口、私語などをしていても、全て残業時間と見なされ煩くいわれなかった。徹夜の時など、愚生は景気つけにワンカップの冷酒まで飲んだこともある。(もちろん、見つかれば懲戒処分)田舎から出てきて、裸一貫の愚生にとって、残業は会社でお金を拾ってくるようなものだった。南海ホークスの名将・鶴岡一人監督は、選手に「グラウンドには銭が落ちている」というセリフが有名だ。愚生も若い頃は、基本給が安かったため、残業が月に最低50時間くらいないと息をついた暮らしは出来なかった。残業が少ない月は、妻に会社に行ってお金を拾ってくるからと、月末に土日出勤したものだ。土日出勤は、美味しい稼ぎ時で、愚生に悲壮感は全くなかった。こう考えると、残業時間の縛りよりは、働きやすい環境のほうが重要だ。時間で縛れば、残業時間は正味内容の自己申告制にするしかない。拘束時間は長時間だが、残業時間は短く申請することになる。なぜなら、時間を短く申請しなければ能率が悪いとみなされる。そして、賞与査定や昇進で割を食うことになる。電通の自殺事件は痛ましい。しかし、時間と成果が比例しない職種は、裁量労働制にすべきだ。職種が合わなければ、会社にしがみ付かずに早期に転職すべきだ。
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