慎太郎、盗人にも三分の理とは呆れる
豊洲市場への移転問題をめぐり、元東京都知事の石原慎太郎の記者会見があった。石原慎太郎は、「瑕疵責任の留保を認めたのかは、私は分かりません」「報告を受けていない」「それは分かりません。交渉の当事者に聞かない限りは」「とにかく、私は交渉の当事者じゃない。逃げるわけじゃないですけれど。任せていたわけですからね。私は売買の契約の現場に立ち会ったこと、一度もないわけです」「誰に聞いたら分かるんだ。」と続く。豊洲移転については、自分は部下に任せていたから知らないと弁明する。人に任せたからといって責任がないわけではない。元知事が1週間に半日しか登庁しなかったといって、罰則があるわけではない。しかし、登庁していないから知らなかったという理由にはならない。知ろうとしないのが悪いのであって、そんなことは言い訳にならない。石原慎太郎は作家から政治家になった。勤め人をやったことがない人物だ。それだから、頭を下げたことがない。そのせいもあってか、上から目線で人に物を言う。作家なのだから、漢字や語句はよく熟知しているはずだ。責任とは、任せて責めると書く。都民は、都知事という職責を石原慎太郎に任せた。だから、その職責を果たないなら、責任を取らなければならない。部下に任すかどうかは石原慎太郎の自己裁量だ。しかし、自分でやろうと部下に任せようと、結果責任はついてまわる。愚生なども、勤め人時代に小職を担ったことがある。部下への口癖は、自分が知らない間に首になるのは困る。だから、報告は必ずしてくれと言い続けた。また、自分の責任を取る事柄は、自分で決断すると言った。大きな仕事を組織で取り組む場合は、部門の総力であたる。そして、いくら稟議を回したところで、責任は必ず誰か一人について回る。ISO9001などを経験した人なら、結果責任の明確化は周知のことだ。民間企業にいたせいで、何時も官僚の答弁にはいらいらする。彼らは失態を演じたからといって、会社が潰れることはない。そして、失職もしない。そのせいもあってか、官僚は責任の所在をはっきりさせない。いじめで生徒が自殺した学校の校長が、泣きながら記者会見をしている。責任を取る立場の人物が、いつのまにか被害者面をしている。困ったものだ。今回の会見で、石原慎太郎は謝罪もせずに、人のせいにしているから悪質だ。そして、小池都知事の責任を云々いうなどに及んで、盗人にも三分の理とは呆れるしかない。石原慎太郎に600億円の弁済を求める住民請求を受理して、東京都は早期に民事訴訟を起こすべきだ。新銀行東京の損失まで入れれば、二千億円近い無駄遣いだ。
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